2017年2月7日火曜日

キンシャサ便りふたたび19 ポワルー道路改修工事に関わり、ポワルー道路を愛したコンゴ人エンジニア、ムタンバさん

政治家チセケディ氏追悼の枝の飾りとプロジェクトの運転手

モブツ大統領時代から一貫して非武装の民主運動家として闘ってきた最大野党、民主社会進歩連合の党首であり、3度の首相就任で庶民の信頼も厚かったチセケディ氏が今月2月1日に84歳で亡くなった。
以来、通りを走る車にはナツメヤシなどのヤシ科の枝葉が飾られて、チセケディ氏の死を悼んでいる。
夫のプロジェクトの車にも枝が一本飾られていた。
でも、あれ?
運転手に、ヤシの葉っぱじゃないよと言うと、しまったという感じで今度変えておきます、と言うのだった。(と言うわけでいつものような優しい顔つきではないが、この運転手、とっても茶目っ気のある優しいムッシュなのだ)。
さて、大統領選延期で揺れるこの国。大きな影響力を持っていたチセケディ氏の死去で、はて、この国の道はどのように続いていくのだろうか。


そんな政治力など持ち合わせないコンゴ人だったけど、夫たちのプロジェクト、ポワルー舗装道路改修工事関係者の中で人望も厚く、熱心にプロジェクトに取り組んでいたムタンバ氏がまだ66歳という若さで先月亡くなった。
昨年、わたしたちがキンシャサを離れる前日にかれにクリスマスプレゼントを届けようとしたら、かれはめずらしく体調を崩して自宅にいるということだった。
そして、わたしたちが東京に帰り、そろそろキンシャサへ戻ろうと準備していた1月の1週目だったかに東京でかれの訃報を受け取った。あれだけ精力的に働いていたかれの姿を思い出し、キツネにつままれたような気分になったことを思い出す。

あれから約1か月。
先週末に、ムタンバ氏の追悼ミサが、かれの所属する、Cellure Infrastracture(夫たちは、よく”インフラ室”と呼んでいる。公共事業省に属する政府の機関で、全国の土道に対して改修を行う機関。)の中庭で、ムタンバさんの家族、同僚が集まって厳かに和やかに営まれた。
同じインフラ室で働き、ポワルー道路改修に同じように精力的に関わり、昨年9月に出張先の中央アフリカ共和国、バンギで突然亡くなったセレ氏の追悼ミサも兼てのものだった。

二人のにこやかな写真を前に、司祭が式を進める。
右端に数名の聖歌隊が電子ピアノと共に声高らかに聖歌を奏でると、庭の小鳥たちも呼応してさえずる、穏やかな午後だった。


2車線だったポワルー道路を突然、4車線にしたいと言い出したコンゴ政府と、2車線のままで舗装改修の無償援助プロジェクトを開始しようとする日本政府の間で、日本側プロジェクトメンバーと共に精根込めて実務面で動いたムタンバ氏とセレ氏。
セレ氏はブルキナファソ出身だったが、世界銀行とEngland aidが支援するインフラ室に入って素晴らしい活躍をした方だったと聞く。
両氏とも、エンジニアの立場からの知識を駆使して、いろいろな提案をして舗装改修工事をサポートし、ポワルー道路を我が子のようにかわいがってプロジェクトを推進してきたそうだ。

4車線舗装改修工事が終了した時、ムタンバ氏は、「皆に誇れる道路ができた。」と大層喜んだという話だ。
だから、かれが、ポワルー道路に街路灯が完成するのを楽しみに待っていたというのは想像に難くない。実際に、ムタンバ氏は調印で訪日した時に、太陽光の街路灯の工場まで足を運んで熱心に見学していたそうだ。


ポワルー道路両側に設置され始めた太陽光電池の街路灯 (2017年1月中旬)

この街路灯の一部区間に初めて灯りが灯ったのが1月15日だった。
ムタンバ氏が亡くなって1週間後だった。
夫とともに、運転手の運転する車で灯りが灯って明るくなったポワルーを走ってみた。
夫は嬉しそうに何枚も何枚も写真を撮り続けていた。

もうひとり、インフラ室で懸命にポワルー道路プロジェクトに携わってきたンテラ氏というコンゴ人も忘れてはならない。
かれは、追悼ミサの最後で友人代表としてスピーチし、ポワルー道路に街路灯が灯った光景をムタンバ氏に見せたかった、としみじみと語った。


ポワルー道路に街路灯が灯った!(2017年1月15日)

ポワルー道路改修関連の無償援助の調印のときに訪日したムタンバ氏は、我が家を二度訪れてくれた。我が家の子どもたちも交えて楽しく食事会を持ったとき、自身のお子さんのことを話す優しい父親としての顔になった。
事務所のかれの部屋を訪ねると、いつも書類を山積みにした机に向かって忙しそうに執務していたが、わたしたちに気づくとどんなときもニコニコして出迎えてくれた。
プロジェクト関係者の結婚式にマダムと共に出席して楽しげだったムタンバ氏の笑顔も思い出す。
わたしたち夫婦は、あなたとの出会いを忘れません。

ムタンバ氏の家族がこの国で幸せに暮らしていけますように。
そして、ムタンバ氏がこよなく愛したポワルー道路がこれからもかれの誇りの道路であり続けますように。

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