2014年6月25日水曜日

引越し!

あっという間に6月も半ばが過ぎ、予定通りに6月21日、土曜日、緑多い住宅街のAvenue Couteaux(刀通り)のアパートから、ビルが林立するキンシャサ商業地区ど真ん中のAvenue de la Paix(平和通り)のアパートへ引っ越した。

当初は、6月末で帰国予定だったから、引越し先の1LDKアパートには10日ほどの滞在のはずだった。
ところが、夫の仕事が1ヶ月ほど延びて、帰国は7月末と思っていてほしい、と夫から言い渡された。
6月末にキンシャサ生活終了の前提で準備を進めていたのに。
でも、せっかちな夫は、物欲の塊のわたしにはちょうどよいチャンスだ、いろいろなものを処分して、帰国準備を兼ねての、身軽になっての引越しとするのだ、と主張するのだった。
引越し先のアパートには、最小限の2人分の食器、鍋も付いていたから、台所用品のほとんどのものを処分したし、電化製品も処分した。
そして、愛鳥ヨウムのポンも友人宅に養子に出した。
2年半、我が家で働いた家政婦のフロランスともさよならをした。
引越し先のアパートには、専用の使用人が付いていたのだ。

それでも、あと1ヶ月のキンシャサ生活を支えるであろう最低限のものたちは、夫の攻勢(処分しろー!!という)から死守し、引越し当日を迎えたのだった。

Coteaux通りのアパート、”Residence Orchidee”正面
Residence Orchidee リビングベランダからの風景
左の白い建物がResidence Orchidee/ Coteaux通りを望む 

こうやって見返すと、なんと良い環境の、なんと素敵なアパートだったのだろう!、と思ってしまうが、この2年半の間、毎日毎日、断水との戦いだった。
引越し当初から自家発電機が付くまでの1年間は停電問題も加わった。
そんな日々で、周囲に広がる緑やそこで美しいさえずりを聴かせてくれる小鳥たちの歌声にはいつもいつも和まされた。
すべてが懐かしい思い出に変わっていることに気づく。

このアパートに、どれだけ多くのお客様をお迎えしたことだろう。
たくさんの友人たちとの楽しい食事会やお茶会は、わたしたち夫婦にとってキンシャサ生活の潤いの時間だった。
最初に日本からお迎えした滞在客は、建築を専攻する東京芸大院生になったばかりの洋一くんだった。
そして、慶応大キンシャサプロジェクトに参加するためにキンシャサに滞在した学生たちの何人かも滞在し、若いエネルギーを心地よく浴びた。
コンゴ河を旅した作家の真知さんと京大院生の伸吾くんの二人もいた。
1ヶ月以上に渡るコンゴ河の旅を終えて我が家にたどり着いた二人を迎え、わたしはかれらの冒険の旅の無事終了の感動の乾杯場面に加わったのだった。
そして、わたしの大切な友人、真弓さんと美智さんも大きなスーツケースにたくさんの日本食などを抱えてはるばるキンシャサまでやってきてくれた時には、涙が出るほど感激した。
みやざき中央新聞の水谷編集長とくるみさん夫妻もわたしの半ば強引なお誘いに応えて多忙な中をやってきてくれた。
それから、南ア、ヨハネスブルグに駐在する啓佑くんも訪ねて来てくれた。
それがきっかけで、今度はわたしたち夫婦がヨハネスブルグとケープタウンを訪ねることになり、滞在中どれだけ啓佑くんにお世話になったことだろう!あらためて啓佑くんに感謝するばかりだ。

最後の滞在客は、慶大研究生でコンゴにアルティメット競技を普及する夢を持つハルくんだった。
かれは来春から商社できっとアフリカに絡んだ道を歩いてゆくのだろうと確信するのだった。

月1回の東京の真弓さん宅から送信されるスカイプのリコーダー教室も心の支えだった。

そして、そして、このアパートの日本人の住人たちの温かい交流も忘れられない思い出だ。
皆さん、どうもありがとう!!!!!


そんな思い出のいっぱい詰まった2年半を経て、キンシャサの商業地区の建つアパートに移ってきたのだった。

Avenu de la Paix(平和通り)にあるアパート3階我が家玄関通路からの風景

キンシャサ大都会ど真ん中に引っ越して4日目。
何もかもがコンパクトで、使い勝手に馴染めず試行錯誤の日々だ。
緑も見えず、小鳥のさえずりで目覚めるということもない。

引っ越してきた初めての夜は、近くからのディスコの漏れ響く音楽が耳について眠れなかった。
キンシャサ住民は宵っ張りなのだな、とか思ってしまう。
キンシャサに昨年開店したパリのパン屋&カフェ、エリックカイザー、そして、外国人が多く利用する大型スーパー、シティマーケットの裏手に位置するアパートだ。
夫の従事するプロジェクトのポワルー道路まで、今までの半分の道のりになった。

キンシャサ都会の中に暮らし、どんなふうにキンシャサの街のイメージが変わるか。
興味津々のところだ。

断水の問題が頭から消えたことは本当にありがたい。
それでも、この心に広がる喪失感はなんなのだろう。
2年半暮らしたアパートに詰まった思い出への喪失感なのか。
それとも!
ああ、ぽん!
ヨウムのぽんちゃんとの別れの喪失感なのだ。
コンゴ河に沈む夕日を観ながら、ぽんに聴かせるリコーダーを演奏することはもう戻ってこないのだなあ。



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