ご自宅の送別パーティーで、多くの友人に囲まれるニルマラさん |
ご自宅での送別パーティーには多くの友人が集まった |
ニルマラさんが9月30日に、多くの友人から惜しまれてキンシャサを離れていった。
大使館勤務の日本人のご主人の仕事で2人のお子さんと一緒に2年半、キンシャサで暮らしたニルマラさんは、その間、キンシャサのInternational Women's Club とスペイン語圏女性の会で役員をし、多くのクラブの企画をし、ご自宅でもよくパーティーを開き、両クラブの中心的女性だった。
彼女自身は、ネパール、カトマンズの出身だ。
ご主人の赴任先でその国の言葉を覚え、ネパール語、英語、日本語のほかに、インドネシア語、スペイン語、フランス語も操る。
彼女の父親の仕事で、小さいときから家族旅行で海外に行っていたと言い、海外の文化を抵抗なく受け入れる懐の広い女性だ。
わたしがキンシャサへ来て間もない頃、ニルマラさんはここの食料品、雑貨用品などの買物事情を教えてくれた。
キンシャサのスーパーのしおれた野菜たちにがっかりするわたしを、新鮮な野菜を入手するには現地の野菜市場に行くしかないと、現地のジギダ野菜市場を案内してくれた。
治安のよくない、混沌とした現地野菜市場では、サントーカという名のコンゴの男性を用心棒に雇うと安心なこと、現地通貨を大量に用意すること、もし用意できなければ市場前の両替人から500コンゴフランに替えてもらえること、野菜市場の価格の相場、旬のものなど野菜の選び方等等、親切に伝授してくれ、ニルマラさんがジギダ市場に行く時はよく誘ってくれた。
そして、International Women's Club の入会のときもニルマラさんが連れて行ってくれた。
いろいろな場面で多くの女性を紹介してくれ、彼女の自宅パーティーのときもよく誘ってくれた。
片言英語と片言フランス語のどこの馬の骨とも知れぬアジアの女性をすんなり気持ちよく受け入れてもらえたのも、ニルマラさんがいたからこそだと思えてならない。
午前中のお茶の会、ランチの会の食事の用意や接客のしかたも彼女を通して学んだことは数限りない。どれも参考になることばかりだ。
母国のネパール料理は本当においしかった。
お菓子のレパートリーも驚くばかりだ。
日本食だってすばらしかった。
巻き寿司や、大根、生サーモンを使った一口寿司もとてもきれいな飾り付けでおいしかった。
彼女が中心になって企画し、コンゴ河を貸切ボートで横切り、乾季のときに現れる砂州でバーベキューランチを開いたときは、彼女の企画力と友人の輪の力に感動した。
もちろん、いろんな人と交われて楽しいコンゴ河のプチ旅と野外ランチだったのは言うまでもない。
9月は彼女の送別パーティーがあちこちで開かれ、わたしも一緒に招かれた。
我が家でも、ニルマラさんのささやかなランチ会を開いた。
そして、どこでも彼女の帰国を惜しむ声が多く聞かれた。
9月18日の最後の送別パーティーは、ニルマラさんの自宅で行われた。
総勢で30人、いや40人はいたと思う。
彼女がまごころ込めて準備した午前のお茶会兼ランチ会は、終始、本当に和やかな雰囲気だった。
ニルマラさんがわたしにバトンタッチしてくれた友達の繫がりをわたしは大切にしていきたいと思う。今回のコンゴ滞在は子ども達もいないし、こんなに多くの友人ができるとは想像していなかった。
ありがとう、ニルマラさん。
わたしたちが日本に戻ったら、また良い友達でいてくださいね。
それまで、お元気で。
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