2012年10月31日水曜日

キンシャサ、再び

我が家、アパート3階ベランダからのいつもの風景

昨夜10月30日、18:30頃、わたしたちが乗ったエアフランス888便はキンシャサ、ンジリ空港に無事ランディング。20日ぶりにキンシャサへ戻ってきた。

思い返せば、11日にキンシャサの自宅を午後早めに出発。わたしたちの20日間の休暇が始まった。
11日21:05キンシャサ発のエアフランス889便で出国。
翌日から丸4日間、娘夫婦が暮らす南仏アンティーブに滞在。ゆったりと孫娘の子守や、南仏の秋の味覚を楽しんだ。

そして17日朝、羽田に到着した直後から、分刻み、というとオーバーだが時刻みの日本滞在が始まったのだった。
到着したその日から、検診、健康診断、歯、目、婦人科などの懸念項目をクリアすべく、都内の病院を駆け巡った。
2日間だけだったが、北九州・八幡へも帰省し、父、義母の顔を見てきた。
美容室にも、整体にも、リコーダー仲間の練習にも、黒留袖をドレスにしてもらうためにブティックにも、ジャズライブにも、そして、昨夏8月だけの絵本屋を開店したところにオープンしたカフェ”L'ange d'angle”(かどっこの天使)にも、都内の会社寮で暮らす息子と我が家の御用達仏料理店にも行くことができ、そこここで嬉しい再会を持った。

息子が社会人2年目を元気にたくましく(と信じる母!)やっていることに安堵。よかった!!

いろんな繫がりの友人たちがセッティングしてくれた会食もうれしかった。
恋焦がれた(!)蕎麦も刺身も鮨も堪能できた。
わたしのために撮って編集してくれたDVDや、お勧めの本や料理レシピを持ってきてくれた友人にも感謝だ。

合間でキンシャサ生活のための買物もあったし、赤羽の自宅の掃除もしたかった。
ぎりぎりいっぱいで過ごしたが、時間制限でそんなこんなも強制終了せねばならなかった。

夫婦ともにすべての検診をクリアできたことは幸せだった。心置きなく、キンシャサに向かえることに感謝。

不義理で連絡が取れないままの友人も多くいた。あの方にもこの方にもお会いしたかったと友人の顔が浮かんでくる。また来年、お会いできますように。

自宅台所と浴室の換気扇掃除、リビングの窓掃除、ベランダの掃除に心を残したまま、29日夕方5時過ぎに息子が運転する車で自宅を出発、一路、成田へ。
成田21:55発エアフランス277便に乗り込んだとき、わたし達は本当に東京に2週間近く帰っていたのだろうか、と夢の中の出来事のような、不思議な気分になった。

日本滞在中は、はるか遠くに霞むキンシャサ生活を、あれはまぼろしだったのか・・と訝り、日本滞在が終わって離れてみると、逆に日本滞在が夢の中でのことのように霧がかかってしまう。
同じ地球上に日本があり、娘たちのいるフランスがあり、わたしたちが現在住んでいるアフリカがある。その空間の繫がりの不思議さを痛切に感じる。
飛行機で空間移動するときの時間移動の”ゆがみ”にも起因するように思う。
飛行機の移動では、わたしは毎回、トリックに遭ったような摩訶不思議な感覚に陥る。

日本滞在時、BS・NHK世界のニュースを観ていて、”世界の天気”の中に、なんとアフリカが出てこなかった!日本からは、遥か遥か遠いアフリカの国々なんだなあ、としみじみ思った出来事だった。


そしてまた、今朝からキンシャサでの普段の生活が始まった。
朝9時過ぎ、いつものように定刻より数分遅れで家政婦のフロランスが、いつものようにバナナを抱えてやってきた。
マダム、おかえりなさい!
良いバナナがあったよ。オマケもつけて三千フランで手を打ちましょ。
そして、いよいよマンゴの季節到来だよ、美味しいマンゴも見つけてきますよ。

だが、口からフランス語が出てこない。
マダム、フランス語の先生とまた初歩からやり直すことだね。
やれやれ。

さあ、これから一年、またキンシャサで楽しんで生活していきましょうか。

2012年10月11日木曜日

誕生日に寄せて

キンシャサはもうすっかり雨季。
8月下旬に久しぶりの雨が降り、9月には雨が4回降った。
その間に、気温は着実に上昇。
そして10月に入り今日、昼前から2回目の雨が降った。

日本でも秋分の日が過ぎ、太陽は南回帰線に向かって南へと移動している。
我が家の南向きのサロンに陽射しがまた入り込むようになった。真っ赤な夕陽も望める。

そんな雨季のキンシャサで、明日12日から3日間、中央部アフリカでは初のフランコフォン会議が開催される。
世界中の仏語圏の国々のトップクラスが集まる会議で、2年に1回仏語圏の国々の持ち回りで開催されるのだそうだ。
フランスのオランド首相もキンシャサ入りするというので、コンゴ民主共和国全体が活気付いて、キンシャサじゅうで大清掃作戦展開中だ。ゴミ箱だって(!)、街中いたるところに設置された。
6月30日通りの大通りにはフランコフォンの旗とコンゴ民主共和国の旗が街灯にはためいている。メイン大通りには”ようこそいらっしゃい、キンシャサへ”の大きな看板が立っている。
交通警官や警察官も街中で立ち働いている。うわべだけ体裁付けるのが大得意なコンゴの人たちの腕の見せどころ、といったところか(意地悪な見方だけど。)。
フランコフォン会議の町の様子の詳細はまた別の機会に。


さて、そんな10月に入り、わたしの誕生日が近づいてきた。
いよいよ50代ぞろ目の歳。

誕生日当日の朝、いつものように6時半前に起き、いつものように寝ぼけ眼でパソコンにスイッチを入れる。
あれ、キイボードの上に何かあるぞ・・・。


寝ぼけて焦点が合わないのと老眼とで、よく見えない目をこすり焦点が合ったところで、何と!!!
悪筆の夫が彼なりのていねいな気持ちで書いてくれた「誕生日 金一封」ではないか!!!
しかも、”VLISCO スカート券”だって!!
(”券”の字の中が「力」になってるけど、気にするまい。)

夫はわたしのブログをしっかり観ていたんだなあ。
VLISCOのスカートをいつか買うぞ、と書いたあのブログを。

なんだか、嬉しいのと可笑しいのとで独り大笑いした。

海外のブティックで独りで試着室に入るのは危険だ、と聞くので、夫の仕事が昼間までで終わる土曜日を待ってVLISCOに一緒に行ってもらった。
運良く、お目当てのスカートが残っていて早速試着する。
サイズの”XS”はわたしにぴったりだったが、わたしには色が地味過ぎて似合わない。
デザインもピンと来ない。
あーあ・・・。
他のワンピースもジャケットも奇抜なデザインの上に、サイズ”L”とかとてつもなく大きいサイズばかりだ。
ブティックを去りがたくて、うろうろしていたわたしに、夫が、フランスで選んだほうがいいじゃないか、と声をかけてきた。
そうだね、もうじき、娘のところに行くからね。
でも夏物はないだろうけど。

ということで、「VLISCOスカート金一封」とはならなかったけど、フランスで選ぼうと気持ちを入れ換えた。

運転手のおじさんに、今日はわたしの誕生日なんだ~、と言うと、おめでとう!そりゃ歌わなきゃー!、と大声で誕生日の歌を楽しそうに歌ってくれた。
ぼくは、生涯で2度だけ妻の誕生日を忘れたことがあってねえ、大変だったよ、奥さんの機嫌を損ねてさ。
かれが言うには、夫婦の誕生日には必ずプレゼントをお互いに用意するのだそうだ。
優しい人柄がにじみ出ているもの。アニメ”アルプスの少女ハイジ”に登場するクララの家の執事(?)セバスチャンそっくりの運転手だ。


そして、今日10月11日。
わたしたち夫婦は、今夜21:05発のエアフランスでパリへ向かう。今朝、キンシャサ市内のホテル・メムリン内のエアフランスオフィスで事前チェックインを済ませた。空港まで手ぶらで行けるのでとても便利なシステムだ。
翌朝パリからニースへ乗り継いで、娘のところに数日滞在し、17日には東京へ一時帰国の予定だ。

キンシャサ市内からンジリ空港までの交通渋滞は半端なく、しかも、明日からのフランコフォン会議を控えて、さらに渋滞が予想されるというので、15:00前には我が家を出発しなければ。

では、しばしの別れ、キンシャサ!行ってきます!

2012年10月8日月曜日

また会う日まで、ニルマラさん


ご自宅の送別パーティーで、多くの友人に囲まれるニルマラさん
ご自宅での送別パーティーには多くの友人が集まった

ニルマラさんが9月30日に、多くの友人から惜しまれてキンシャサを離れていった。

大使館勤務の日本人のご主人の仕事で2人のお子さんと一緒に2年半、キンシャサで暮らしたニルマラさんは、その間、キンシャサのInternational Women's Club とスペイン語圏女性の会で役員をし、多くのクラブの企画をし、ご自宅でもよくパーティーを開き、両クラブの中心的女性だった。

彼女自身は、ネパール、カトマンズの出身だ。
ご主人の赴任先でその国の言葉を覚え、ネパール語、英語、日本語のほかに、インドネシア語、スペイン語、フランス語も操る。
彼女の父親の仕事で、小さいときから家族旅行で海外に行っていたと言い、海外の文化を抵抗なく受け入れる懐の広い女性だ。

わたしがキンシャサへ来て間もない頃、ニルマラさんはここの食料品、雑貨用品などの買物事情を教えてくれた。
キンシャサのスーパーのしおれた野菜たちにがっかりするわたしを、新鮮な野菜を入手するには現地の野菜市場に行くしかないと、現地のジギダ野菜市場を案内してくれた。

治安のよくない、混沌とした現地野菜市場では、サントーカという名のコンゴの男性を用心棒に雇うと安心なこと、現地通貨を大量に用意すること、もし用意できなければ市場前の両替人から500コンゴフランに替えてもらえること、野菜市場の価格の相場、旬のものなど野菜の選び方等等、親切に伝授してくれ、ニルマラさんがジギダ市場に行く時はよく誘ってくれた。

そして、International Women's Club の入会のときもニルマラさんが連れて行ってくれた。
いろいろな場面で多くの女性を紹介してくれ、彼女の自宅パーティーのときもよく誘ってくれた。
片言英語と片言フランス語のどこの馬の骨とも知れぬアジアの女性をすんなり気持ちよく受け入れてもらえたのも、ニルマラさんがいたからこそだと思えてならない。

午前中のお茶の会、ランチの会の食事の用意や接客のしかたも彼女を通して学んだことは数限りない。どれも参考になることばかりだ。
母国のネパール料理は本当においしかった。
お菓子のレパートリーも驚くばかりだ。
日本食だってすばらしかった。
巻き寿司や、大根、生サーモンを使った一口寿司もとてもきれいな飾り付けでおいしかった。

彼女が中心になって企画し、コンゴ河を貸切ボートで横切り、乾季のときに現れる砂州でバーベキューランチを開いたときは、彼女の企画力と友人の輪の力に感動した。
もちろん、いろんな人と交われて楽しいコンゴ河のプチ旅と野外ランチだったのは言うまでもない。

9月は彼女の送別パーティーがあちこちで開かれ、わたしも一緒に招かれた。
我が家でも、ニルマラさんのささやかなランチ会を開いた。
そして、どこでも彼女の帰国を惜しむ声が多く聞かれた。

9月18日の最後の送別パーティーは、ニルマラさんの自宅で行われた。
総勢で30人、いや40人はいたと思う。
彼女がまごころ込めて準備した午前のお茶会兼ランチ会は、終始、本当に和やかな雰囲気だった。

ニルマラさんがわたしにバトンタッチしてくれた友達の繫がりをわたしは大切にしていきたいと思う。今回のコンゴ滞在は子ども達もいないし、こんなに多くの友人ができるとは想像していなかった。
ありがとう、ニルマラさん。

わたしたちが日本に戻ったら、また良い友達でいてくださいね。
それまで、お元気で。