JR赤羽駅西口あたりの風景 |
8月5日に、赤羽の自宅に到着して、早くも3週間が経った。
3年近く空室にしていた自宅マンションに再び息吹を入れ込み、銀行や役所や郵便局で諸手続きをして回り、電話やインターネットを整備して日常生活が始まった。
ふるさとに帰省し、老親や親戚や友人たちとの再会を楽しんだ。
東京生活再開でいちばん手間取ったのは、通信情報網の設定だった。
電話がなければ何もできないことを痛感した。
わたしたちがまずしたことは、近所の携帯電話ショップに行き、スマートフォンを入手したことだった。
わたしのパソコンはキンシャサで処分したので、慣れないスマートフォンをいじくって友人たちにメイルを送った。とはいえ、慣れないスマートフォンの上、画面が小さくて、目が疲れて頭痛はするし、普段の何倍も時間がかかった。
夫のパソコンが使えるときは、スマートフォンのテザリングを使ったりも。
まだ、お礼を済ませていない友人たちもたくさんだ。
少しずつ、少しずつ。
わたし用に購入したパソコンがやっと届き、昨日からまたパソコンからネットが使えるようになった。
その設定も夫頼みで、頭痛がしてストレス貯まりまくり!!、だった。
(この3年近くの間に、日本のネット環境が一新し、浦島花子状態だ。)
それにしても、日本の生活の中で痛感することは、時間、空間、サービスなどあらゆる面で息が詰まるほど緻密なこと。それが便利でもあるのだが。
街中でいたるところに貼られる広告の多さに目を回す。
電車に乗っても、吊り下がる広告をはじめ、車内のすべての空間に広告が貼られている。
(キンシャサで走り始めた路線バス内にこんなにも広告が氾濫しているだろうか。わたしは残念ながら乗車したことがないからわからない。)
キンシャサの街中では、店舗の看板以外は、道路脇に立つ大判広告塔が遠くに見えるくらいだった。
キンシャサでは、わたしの視線ははるか遠く数十メートル先にピントを合わせていたのだなあ。
東京の街中では、数十センチ先の車内広告から数メートル先と、狭い空間の中でピントがクルクルと動いて、本当に目が疲れてしまう。
とはいえ、レトルト食品、冷凍食品、惣菜、半惣菜といった便利食品が並び、簡単にご馳走にありつけることに感謝するのだが!(キンシャサでの手間取った食事準備をなつかしくも思ったり。)
JR赤羽駅 北改札口 |
ということで、またこうやって、”キンシャサ便り・こぼれ話”を更新できて、ありがたき幸せ~!
もうしばらく、お付き合いください。