2019年10月9日水曜日

ワガドゥグで再会したキンシャサの女性画家

現在わたしが夫とともに滞在するワガドゥグでの話だ。(思い出話でちょっと恐縮!)

この2つの油絵の小作品にまつわる思い出話を・・・。




キンシャサでIWC(International Women's Club)という外国女性の会があったように、ワガドゥグにもCLIF(Club International des Femmes de Ouagadougou)という女性の会が存在する。
以前にワガドゥグに滞在していた友人からの勧めもあって、年度替わりのこの9月から入会した。

キンシャサにはIWCのほかにフランス語圏の女性の会があって、その会の使用言語はフランス語のみ。ちょっと排他的な雰囲気を感じたが、IWCのほうはフランス語も英語もありだった。というか、英語を主にして助け合って楽しみましょう、みたいな雰囲気があった。

ワガドゥグでは、外国女性の会はCLIFのみということもあるのか、とにかく、フランス語も英語も飛び交っている。英語で話していたと思ったら、気が付くとフランス語になっていた、みたいなざっくばらんな雰囲気だ。
フランス語が分からない人がいると、挙手して、わからなーい、と言うと、だれかが英語訳を買って出て英語で説明するといった感じだ。
(CLIFの会の会員でアジア女性が日本人の4人だけというのはちょっと寂しい。)


そんなCLIFの会の今年度初めての企画、ワガドゥグの中心に当たるクルバ地区探訪に参加した時のことだ。
ひとりのアフリカ女性から声をかけられた。あなた、キンシャサでお会いしましたね、と。
かのじょと話していて次々にいろいろなことが思い出されてきた。
その女性は、ベルギーで絵を勉強して、とてもきれいな色使いで描く画家だった。
IWCの会の仲間のクリエイターたちが集まって企画するバザーも不定期に開かれていて、わたしはそこで彼女の絵を買ったことがあった。それが、かのじょとの初めての出会いだった。

日本の自宅にかのじょの絵2枚を並べて飾っている。
確か、わたしのPCにその画像を取り込んでいたはずと探し回って、かのじょの絵を見つけた。それが、冒頭の写真の絵だ。
斜めからもう一枚。今は、それぞれの絵をガラスなしの白枠だけのものに入れて飾っている。)





彼女に、この画像を送るととても懐かしがってくれた。
キンシャサで共通の日本人の友人たちにメイルでかのじょとの再会を伝えたら、この再会にびっくりしていた。

かのじょは、なんとブルキナファソ出身の女性だったのだ。
かのじょがキンシャサに暮らしているとき、キンシャサで唯一歩くことのできた川べりを毎夕日本人の友人たちとウォーキングしていたことなどキンシャサでのことを懐かしく話したり、共通の友人のその後の消息について情報交換したりして話が弾んだ。

かのじょは、流ちょうな英語も話す。とても品格ある女性だ。
キンシャサ滞在を終えた後、かのじょは出産して今では3人の母親となり、創作活動の時間をなかなか持てないと話していた。
お互いの夫の仕事でしばらくはワガドゥグに滞在するということなので、ワガドゥグでも楽しい付き合いが持てそうだ。
早速わたしたちは来週初めにモーニングカフェの約束をした。

2019年6月21日金曜日

さよなら、リヨロさん

 コンゴ民主共和国出身の彫刻家、Liyoloさんが今年4月1日に奥さんの故郷のオーストリア、ウィーンで病気のために亡くなった。75歳だったそうだ。
それからもう3か月近く経ってしまったが、リヨロさんを偲んで、ふり返ってみようと思う。


Alfred Liyolo Limbe(2015.7.14.Radio Okapiより)

わたしがキンシャサ女性の会の会員たちとリヨロさん夫妻のお宅を初めて訪ねたのは2013年2月だった。
現役で彫刻家として活躍するリヨロさんと、陶芸家のマダムのお宅はキンシャサ郊外にあり、モダンな建物で、緑とかれらの作品の溢れる、まるで美術館のような佇まいだった。


リヨロ氏宅玄関前で(2013.2.)

リヨロ氏宅の庭に置かれた自作のオブジェ(2013.2.)

キンシャサ女性の会会員たちと歓談するリヨロ氏(右)、左奥のサングラスの女性がマダム(2013.2.)


オーストリアからリヨロさんの元に嫁いで、モブツ大統領の怒涛の時代もこのアトリエで苦労を共にし、二人三脚で歩いてきたマダムも魅力的な方だった。彼女自身も陶芸家として素晴らしい作品を生み出し、自宅の中にセンス良く飾られていた。
かれは日本でも個展を開き、当時の天皇陛下夫妻とも会談し、とても日本びいきなのよ、とはマダムから聞いた話だ。
その後に一度、日本からの友人と一緒にかれらの自宅を訪ねたことがある。

わたしが、リヨロさんの作品を初めて知ったのは、キンシャサ大学近くに立つ女性の賛美像だった。


キンシャサ大学近くに立つリヨロ氏作の女性賛美の像

左下に男性が小さく見えるのが分かるだろうか。この女性像はそれほど大きな作品であった。”2011年 LIYOLO作”、と台座に記されている。


わたしが知っているリヨロさんの新作は、キンシャサ中央駅前の噴水の四隅(二隅だったかも?)に立つライオン像だ。

リヨロ氏作ライオン像

わたしが2017年にキンシャサを離れる前後の頃、リヨロさんは病気療養のためにマダムの故郷に行っていると聞いた。

キンシャサ在住の友人の話では、4月1日にリヨロさんが亡くなったことは、キンシャサでは当日のトップニュースだったらしい。
4月30日に埋葬されたときのかれの告別式には多くの関係者が集まり、盛大な見送りだったとキンシャサのラジオ局、RadioOkapiのネットニュースで読んだ。

リヨロさんのお宅を訪ねた時に、かれのアトリエの壁にデッサン用の炭で書かれたいたずら書きのようなものがあったことも思い出される。
リヨロさんは、ふふっと笑って茶目っ気のある表情で言った。
”わたしのアトリエに入ってきてわたしの子どもたちが遊んでいた時代もあった、そして、今では、孫たちのあそび場にもなるんだよ、そこで、ここはわたしの神聖なる場所なのだから静かにね、っと書いてみたのさ。”


リヨロ氏のアトリエの壁の彼自身が書いた落書き

リヨロさんの作品は、キンシャサじゅう(コンゴじゅうかな)のいたるところで町の人たちの誇らしいシンボルであり続けるはずだ。

この落書きの残る、リヨロさんのアトリエは、そして、あの素敵な美術館そのもののようなお宅は今、どうなっているのだろう。

リヨロさん、ありがとう。

2019年3月25日月曜日

キンシャサで見つけた赤い実




ワガドゥグからこんにちは。
今日は、キンシャサで出会った、この赤い実のことを書いておきたくなりました。

この、赤い実は天然の色!
わたしの大好きな”陽赤”色だ。
大きさは、昔よく見かけた、数珠玉と同じくらい。均等な大きさだ。
数珠玉には、真ん中に天然の「穴」が通っているから、穴の枯れた藁様のものを取り除いて、簡単にネックレスを作れる。
でも、この赤い実には、穴がない!
穴をくりぬこうとしても、堅い!
でも、キンシャサの女性支援団体が企画していた店で、この赤い実のネックレスを見つけて土産に買ったことがあった。その店は残念にも閉店となり、この赤い実のネックレスは入手できないままになった。






左は数珠玉のネックレス。右は、赤い実で作った”想像”のネックレス。
キンシャサで出会った、よその国の大使夫人が白い麻ブラウスに数珠玉のネックレスを二重か三重にして合わせていたのがとても素敵だった。
わたしは、そのときに、赤い実のネックレスもシンプルに長く繋ぎ合わせて作れたらなと思った。

キンシャサのゴルフ場には、この赤い実がたくさん生り、落ちていた。





鞘から弾けて落ちてきた、赤い実だ。
このまま、ブローチにしたいくらいだった。

ある時、わたしが持ち帰った赤い実を日本の友人に見せたら、シンガポールでは幸せをよぶ”サガの実”として知られている、と教えてくれた。
友人の話では、シンガポールでは、マレー語で”サガの実”と言い、何粒か財布に入れておくと金運がアップすると伝えられているそうだ。
また、百個集めたら幸せになり、千個集めたら願いが叶う、とも言われているとか。
言い伝えられている内容は多種あるようだが、シンガポールでは、子どもたちが一生懸命集める”サガの実”なのだそうだ。

調べると、シンガポールでも高さが25m(40mの巨木もあるとか)で、幹回りは5m近くもあり、公園や街路樹として植えられているそうだ。
”サガ”の名前の由来は、アラビア語で金細工師を意味する言葉に通じる、と書かれていた。
この赤い実は、大きさや重さが一定していることから、金の重さを量る単位として使われていた、ということから来ているのだそうだ。
また、この実は”ラブ・シード(愛の実)”とも呼ばれていることも知った。
形がハートの形に似ているので、この実を集めて小瓶に入れて、告白代わりに愛する人に渡すのだそうだ。
花は黄色で5枚の花弁を持っている。
日本でも、明治末期に台湾から沖縄に移入されたそうだ。根に根粒菌を持っているので痩せた土地の改良目的だったようだ。

キンシャサでは現地の人はこの赤い実に見向きもしなかったように思う。
そして、誰に訊いても、名前も知らない、と言うのだった。

京都で染色を学ぶコンゴ民主共和国からの留学生が、制作発表の時にこの赤い実のネックレスを藍染のドレスに合わせて使っていた。藍の色と、陽赤色がとてもよく似合っていた。
赤い実の名前をかれに訊くと、リンガラ語で”マイケ”。
フランス語では、Oeil de Paon。(孔雀の目、と訳される。)
 木のことは、Bois de Santal。(白檀の木、か。)
そう教えてくれた。
そして、かれは、わたしにこの赤い実を黒糸で繋げたネックレスをプレゼントしてくれた!

思い出の赤い実、の話でした。
ああ、こうして残しておけて幸せ。