マタディ橋は日本の援助で約35年前に完成した、全長720mの吊り橋だ。
河川港としてコンゴ河の入り口から三番目の港となるマタディ港近くに架かっている。世界第2位の流域面積を誇るコンゴ河に架かる唯一の橋でもある。
わたしたちも2013年にこの地を訪れたことがある。
コンゴ河に架かるマタディ橋 全長720m (2013.8.9.撮影) |
マタディ橋入口 日本とコンゴ民主共和国の国旗モニュメントを発見(2013.8.9.撮影) |
マタディ橋上からのコンゴ河マタディ港を望む (2013.8.9.撮影) |
マタディ橋の工事が始まって37,8年。
詳しいところは知らないが、調査も含めると、コンゴ民主共和国とのかかわりはもう40年も前に遡るのかもしれない。
キンシャサ会には、当時、現場で工事に携わった技術者と家族、大使夫妻、商社の方たちが多く参加され、当時の貴重な話を聞くことができた。
70歳代、80歳代になられても皆さんはつらつとされて、若さを感じるかたたちばかりで、また皆さんの長い親交に感動をいただいた。
これまでコンゴ民主共和国の道路公団職員たちにより維持管理がしっかり続行され、また3年ほど前に別の日本の支援プロジェクトとして大規模改修工事も実施されている。
わたしたち夫婦が2013年8月に訪れた時、管理の行き届いた吊り橋の雄姿に大きく心動かされ(大規模改修工事はその後だった)、橋の周辺には厳かなオーラが漂っているようだった。
思い返せば、マタディ橋のお陰でわたしたち夫婦は恩恵をいただいてきた。
まず、2011年の東北大震災直後に商船会社に入社し、社員寮に入った息子の話から。
息子が入寮した寮長さん兼コックさんが、なんとマタディ橋の建設資材を運搬した船にコックとして乗船し、資材の積み下ろしのためにしばらくマタディに滞在したというかたで、息子が両親がキンシャサに出発する(わたしたちは2011年大晦日に出国している。)と話したら近しく感じてくれて、いろいろと温かく目をかけてくれたのだそうだ。
また、わたしの知人が、マタディ橋建設のために家族で滞在していた友人を訪ねてはるばるマタディまで1981年に訪れている(キンシャサからマタディまで約400kmの距離がある)。知人は、わたしたちがキンシャサに行くことを知ると、当時の思い出を懐かしく語ってくれたものだ。
ある年のキンシャサゴルフクラブのオープンゴルフ大会前夜祭で出会ったビール会社のコンゴ人社員が、わたしたちが日本人だと知ると、かれの叔父さんがコンゴ人技術者でマタディ橋の維持管理のための研修で日本に行ったことがあるらしく、叔父さんから日本滞在の良い思い出話をよく聞いていたと言って喜んでくれた。後日、ビール会社工場内にある売店に案内してくれて、そこでしか買えないグッズを買えたということもあった。
マタディ港はコンゴ河の河川港としてキンシャサへの最終の積荷港で、そこからは陸路でキンシャサまで運送される。マタディ橋は陸運の要衝として経済活性化に寄与していると聞き、コンゴ民主共和国における日本の援助の象徴といえる存在だ。
その建設に30数年前に携わり、完成30周年記念式典がマタディで盛大に行われたときには7人の日本人が私費でマタディを再訪している。その「七人の侍の武勇伝」は、かれらの”誇り”そのものだと思った。
その時、わたしたち夫婦はキンシャサにいて、かれらの高齢の身での長旅を押しての再訪を感動して聞いたものだ。
これからも、マタディ橋キンシャサ会が盛況でありますように。
心から願って、会の締めくくりにわたしもエールを送った。
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