2014年2月23日日曜日

キンシャサ暮らし再び2週間

イチガツ、イキ
ニガツ、ニゲ、
サンガツ、サッテ・・・。

亡くなった母がよく言っていたな。
お正月だと思っていたら、1月が行き、2月が逃げ、3月が去り、あっという間に4月、桜の季節を迎える、と。
本当に歳を重ねる毎に、それを実感する。


娘一家の住むアンティーブの旧市街を望む 向こうにはアルプスの白い山々が


ついこの前、新年を迎え、コンゴ国道1号線の東方面の旅に出たと思ったら、フランスに出かけ、パリで友人に再会し、南フランスの娘のところで過ごした楽しい日々もあっという間に過ぎて、2月となり、涙の別れをして、2月8日朝、再び、キンシャサにランディング。


それから、さらに2週間が経った。
その間、すごく濃密な時間を過ごした、とも感じるし、目まぐるしく時計の針がグルグルと回って行っただけのようにも思える。

8日、土曜朝にキンシャサ、ンジリ空港で夫と運転手に迎えられ、午後には夫婦でハーフだが根性でゴルフコースに出た。
夫が翌日曜日の日本人ゴルフ会に参加するのに、3週間のゴルフブランクは参加者に迷惑を掛けるぞ、と脅してきたのだった。

夫は、わたしの留守の間、水ポンプ故障が原因の断水に見舞われ、やっとポンプ取替えが終了したと思ったら揚水能力の弱いポンプが取り付けられたらしく、浴室の水道の水圧が弱まり、シャワーがちょろちょろ状態という中で、キンシャサの友人に支えられ、まあ何とか合格点の暮らしだったようだ。
(夫は、冷凍庫の扉を何度か半ドア状態にしたらしく、キンシャサに戻ったわたしはまず冷凍庫の霜取りに奮闘しなければならなかったが。)

その週は、キンシャサの友人に会う約束とフランス語レッスン、そして週末の韓国のサムソングループ主催のゴルフコンペに参加して終わった。

そして、今週はというと。
月曜日にフランス語の試験、DELFのB1レベルを受験した。
わたしは一日で終わったが、夫はさらに上のレベルを受験したので、翌日も試験は続いた。
ほとんど受験準備もできないままで、どんな試験内容かもおぼろげな状態で臨んだので、とても緊張した。
朝10時から始まり、終了したのは午後5時近くだった。
聴いて書き、読んで書き、最後は読んで口述試験と続き、もう脳みそが前転、後転、七転八倒状態だった。

ふっと気づくとソチオリンピックが始まっていた。
我が家の中国衛衛星放送システムStarTimesでは、ソチオリンピックの「ソ」の字も放映されていない。
昨年半ばにこの中国衛星放送システムに加入したときは、月10ドルちょっとでいくつものチャンネルが視聴できるとほくそ笑んでいた夫が、どのチャンネルに合わせても、「視聴不能」と表示されて、こりゃあボッタクリだあ!!、と怒りに変わったのはいつごろからだろう。

我が家のお隣の大日本土木の宿舎が加入する英国系の衛星放送システムではソチオリンピックが観戦できるというので、厚意に甘えて、フィギュアスケート男子ショートと女子ショートとフリーの演技を観戦させてもらった。
(なぜだか、男子フリー演技は放映されなかった!上位がアジア勢で占められていたから中継されなかったのかも、と話したことだった。)


お隣宅でフィギュアスケート男子ショート演技観戦


今週は2度、我が家の夕食にお客さんを招いたのだが、真央ちゃんのフリーの演技の時には、お客さんともどもお隣になだれ込んでの観戦となった。

それにしても、真央ちゃんのショートプログラム演技終了直後はわたしまで呆然となって、大ショックだった。
そして翌日はわたしまでもが朝からどきどき緊張していた。
前日のショックを引きずらないで、真央ちゃんには自由にのびのびと演技をしてほしいと願った。
夕方近くになると、お隣さんから、日本人選手の出場間近になる度に電話が入った。

わたしたちが観戦するテレビでは聞こえなかったが、観客席から”真央ちゃんならできるー!!”という大声が会場に響いたのだそうだ。
フランスでテレビ観戦していた娘から聞いた話だ。
演技直前の出来事で、すっごいどでかい声の女性がいるもんだ!、とびっくりしていたら、何と娘の中高時代の友だちで、お笑い芸人として活躍する石井てる美ちゃんだったそうだ。
かのじょは、いつだかの真央ちゃんのインタビューで、観客席から耳に届く声援が大きな勇気になると話していたことを思い出して、あらん限りの大声で”真央ちゃんならできるー!!”と心からの祈りを発したのだろう。祈る、っていいなと思う。

そして、真央ちゃんのフリー演技が始まり、最初のトリプルアクセル成功に大拍手!
彼女の演技に吸い込まれ,魅了された。


フリー演技終了直後の浅田真央選手


演技が終了したときのぞくぞく感!
素晴らしい感動が伝わってきた。
本当に、真央ちゃんはがんばったなあ、素晴らしい!、と心の底から、大感動が沸き起こった。

今日、土曜日。
午後、仕事を終えて帰宅した夫とゴルフに行ったのだが、よし!、真央ちゃんのようにマイペースで自分のためにゴルフをしよう!、とか思って回ったら、前半、好スコアが出た!
単純だなあとも思ったが、真央ちゃん効果だ。
きっと、日本中で真央ちゃん効果が出るぞ、と思えてくる。
わたしの応援する高橋大輔選手もかれの最高の演技を見せてくれたと信じる。
ありがとう! オリンピック日本人選手たち!


明日は、日本人ゴルフコンペだ。
そして、来週はキンシャサを去っていく二人の友人たちの食事会や、フランス語、クロスステッチ教室、ゴルフの約束も入っている。

フランスの美容室でショートヘアにしてきて大正解だった!
我が家の浴室の水道の水圧は弱いまま。
ちょろちょろとしか出ないシャワーで、湯を出そうとすると更にちょろちょろラインは細くなる。
だから、大鍋に湯を沸かしてバケツに入れ、それを最後に頭からかかり湯をするようにした。
温かい湯をざんぶりと掛けると、日本の風呂を思い出して、胸キュンになったりする。
何度か、ゴルフクラブでシャワーを浴びて帰ることもした。
温かい湯がしっかり勢い良く出て、ありがたいことと言ったらない。

シャワーの不都合をアパートの大家にも直談判したが、直してくれる気配はない。
リビングの壁には黒かびが生えていて、ペンキ塗り直しもお願いしているのだけど。
電話の度、明日来る、と言われ続けてもう2週間経つ。
何度も何度も言い続けないと、動いてくれない。キンシャサに住む外国人マダムたちが口を揃えて言う。
キンシャサのアパートは大なり小なり、どこもトラブルを抱えているようだ。

2月最終週も元気で過ごさないとな!
夫たちのプロジェクトも完成が近づきつつあると聞く。

2014年2月3日月曜日

南仏アンティーブ滞在2週間

娘宅リビングから

17日早朝にパリに到着。
パリで友人のしょう子さんと合流し一緒に2泊してパリ散策を楽しみ、パリ在住の童画家の東公与さんのお宅で再会に心踊りしたパリ滞在だった。
そして、アンティーブに到着したのが19日だった。

パリからフライトで隣り合ったフランス人マダムがこの1週間、アンティーブは雨模様だったけど、明日から1週間は晴天が続くわよ、と言っていた通り、最初の1週間は良い天気だった。

そして2週目は、一日だけ晴れで、あとはずっと雨ばかり。

ちょこちょこと、孫娘の検診に同行したり、買い物に出たり、シーズンオフで地元在住の人たちがゆったりと散歩を楽しむだけの長閑な海辺を散歩したり。
孫娘と一緒に絵本を読んだり、手遊びしたり、歌を歌ったり、幼い子の豊かな表情に癒されるし、本当にかわいいと思う。そんな日々があっという間に過ぎていった。
(わたしの童謡,子どもの歌のレパートリーの広さに我ながらあっぱれ!!)


しかしこの2週間、いったい何をしたというのだろう、とも感じてしまう。
娘はわたしの滞在中に部屋じゅうの整理整頓をしたいと言っているが、予定の半分も進まずに少々焦っているようだ。

キンシャサでは投函できない手紙もたくさん書いて出すぞ、と意気込んできれいな絵葉書も買い込んだ。
そうだ!NHKのさだまさしのテレビDJ番組でこの前、わたしが書いた葉書をさださんが読んでくれたらしい。長年の夢が叶った。この滞在中にももう一度、生さだ番組に葉書を出そうと思っていたのだった。(さださん、ありがとう!)


日本料理店と中華屋にも行きたいと思っていた。
娘一家と共にニースのショッピングモールで買い物をした後、夜はニース中心街にある日本料理店「加も川」で久しぶりの本格的な日本料理を楽しんだ。
枝豆、納豆巻き、揚げ出し豆腐、刺身、てんぷら、うな丼、焼き鳥。そして〆は、もちもちして艶やかな白ご飯と味噌汁!娘の夫は、ここの抹茶アイスクリームが美味しいんだと言って注文したがわたしはギブアップだった。
焼酎もおいしかった!!
なにもかもが美味しい日本料理だった。
それもそのはず、2年ほど前にミシュランで星をもらっているそうだ。
「加も川」の板前さんは日本人で、年配のほうの方は、5年前までコンゴ共和国のブラザビルで日本料理の板前さんとして働いていたと言われていた。キンシャサには昨年、日本料理レストランが開店したが、残念なことに日本人の板前さんはいない。


ニースの日本料理店「加も川」店内


娘と孫娘との散歩の楽しみは、娘宅の近くの中華屋でのランチだ。
テイクアウトもできる。
キンシャサのどこの中華レストランよりもおいしいのだ。
ここでも、2度、ランチをむさぼり(!!)食べた。

キンシャサ用の買い物は、パリの日本食品店で少しだけ日本食を買い足したが、こちらでは、トイレットペーパー、キッチンペーパー、衣類洗剤、電池、化粧水など生活用品と、白胡椒、エルブドプロバンスという南仏のミックスハーブ、オリーブオイル、日本米に近い米(カマルグという南仏湿地帯の米が日本米に近いらしい。)、そして大豆などの一般食料品も買って戻りたい。おっと、夫の下着も忘れてはいけない。洗濯機で破れたから買って来てくれとメイルがきた。(わたしが留守の間に、水道のポンプが故障し、3日間ほど断水だったらしい。)

南仏の町を散歩していて思うことは、アフリカの町並みと大して変わりがないということだ。
小さな食料品店しかり、古い家やアパートの建物しかり。
キンシャサの我が家の近所で2年発ってもまだ建設中の建物を指して蔑んで見ていたが、こちらでも、何年も工事がストップしていたり、2年がかりでやっと完成した公共建物があったり。
旧宗主国ですら、そんな状態なのだから、旧植民地の国でそうなのは仕方ないな、と思ったり。(誤解を招きそうなので付け加えると、コンゴ民主共和国はベルギーの植民地で、コンゴ共和国がフランスの植民地だった。)
だから、フランス人はきっとキンシャサでの暮らしを自国での生活とそんなに変わりなく受け止めているのだろうと思われる。それに、飛行機で7,8時間でダイレクト便だし、言葉も自分たちの国語だし、身近なアフリカ生活なんだろうな。


アンティーブの浜辺はきれいな砂浜だ。
ゆったりのんびりリラックスして散歩ができるのはありがたい。
浜辺に優しく打ち寄せるさざ波の音にも心癒される。

あと5日でアンティーブの生活ともお別れだ。
残りの日々も雨模様の天気予報らしい。