今春4月から6月のNHKカルチャーラジオは、松本仁一さんの語る、”アフリカは今~カオスと希望と”だ。
松本仁一さんの話だと聞いて、これは絶対聴かなきゃ!!、と思った。
夫と結婚して、いつかアフリカで暮らす日が来ることを覚悟したとき、アフリカがぐん!と近づいてきた。
そんなときに、朝日新聞コラムで、「アフリカ」、と付く連載コラムが始まった。
「アフリカで寝る」、「アフリカを食べる」、どっちが先だったか、かれの書くアフリカ文化は本当におもしろかった。
アフリカからの風が、わたしに向かって入ってきた。
そんな新鮮な、生のアフリカを感じる文章だった。
そうこうしていたら、「カラシニコフ」というコラムが始まった。
やはり松本仁一さんの記事だった。
アフリカ戦闘地では、先進国が売りつけてくる簡易な構造の銃、「カラシニコフ」が出回っているという事実に唖然としたことを覚えている。
ヨーロッパの植民地として掻き回され、1960年代にこぞって独立しても旧宗主国は実質上、影響を与え続け、アフリカの戦闘、”カオス”、は先進国が作り出しているのだということに唖然とした。
あれから、30年近くになるだろうか。
松本仁一、という名前は胸キュンになるくらい懐かしい響きでわたしの記憶に入ってきた。
松本さんも74,5歳?
うれしい活躍だ!
NHKカルチャーラジオ 「アフリカは今」テキスト表紙 |
テキストの中より~ アフリカで存在を増す中国 |
テキスト冒頭の松本仁一の紹介を見ると、1942年生まれ。
朝日新聞入社後、西部本社社会部時代、ケニアのモンバサから南アのケープタウンまで車で踏破。外報部を経て、1982年~86年ナイロビ支局長。
90年~93年中東アフリカ総局長(カイロ)。
Wikipédiaには、日本のジャーナリスト。日本におけるアフリカ報道の第一人者、と記されている。
松本さんの、3か月間、13回(30分)の講座で取り上げられているアフリカの国は、シエラレオネ、モザンビーク、ルワンダ、コンゴ民主共和国、ソマリア、ソマリランド、マリ、ガーナ、ジンバブエ、ケニア、タンザニア、ナイジェリア、セネガル、サントメ・プリンシペ、ウガンダ、南アフリカ共和国、ボツワナ、エチオピア、ザンビア、ニジェール、ソマリア、アンゴラ、スーダン、ボツワナ・・・。
アフリカ大陸54か国のうち、半分以上の国が取り上げられている。
こんなにまとまってアフリカの歴史~冒険時代、植民地化の時代、独立後の混沌の時代、現在を見ることのできるこの企画には、感動ものだ。
そしてまた、時代の推移にもうれしい驚きを感じる。
わたしの中高時代の社会科で得たアフリカの知識はほんのわずか。
はるか遠い国々で、輪郭のぼんやりしたものだった。
”暗黒大陸、アフリカ”、という言葉に不気味さすら覚えた。
先生が言ったことで、すごく覚えていることは、
「なぜ、アフリカは開発が遅れたか。それは、川に滝が多くあって、内陸に入っていけなかったからだ。」
これは、アフリカの人々の、彼ら自身の彼らによる国造りを全く念頭に置いていない考えだったと今になって思う。
暗黒大陸。
何が「暗黒」なのか。
西欧人がアフリカ大陸の地理を知らなかったことと、アフリカの人々の社会システムが見えていなかったこと。この2点から、西欧人は、アフリカ大陸=暗黒大陸と呼んだのだ、と松本仁一は書いている。
動物や虫などの生き物がうじゃうじゃいて、それらが多くの病気を招いて、赤道直下の極悪な気候でジャングルが広がって、野蛮な人種たちのいる大陸。
そんなイメージが浮かんだ。
ただ、百科事典の”宝石”を調べると、アフリカ大陸にはダイヤモンド分布の点が集中していて、これには胸躍った。
でも、ずいぶん長く、はるか遠いアフリカからの情報は、日本には聞こえてこなかった。
アフリカ大陸に引かれた国境線を見てほしい。
真っ直ぐに引かれた線。川で分けられた線。突然に国境線が不自然に曲げられたところもある。
これは、西欧各国が国益で、勝手な会議で決められた植民地ラインだ。
1960年代から70年代の独立のとき、そのラインのまま独立した。
植民地以前の、部族や宗教で分かれていた単位ではないのだ。
アフリカの”カオス”の起源を思うと胸が痛む。
ナショナリズムという自国を想う意識が育たない土壌。
部族、という単位でしか考えられない、国家のリーダーたち。
果たして、アフリカの国々は、”カオス”から抜け出せるのか。
そういう種を捲いた西欧人に、さらに中国人のパワーも入り込んできているアフリカ大陸。
「アフリカは今~カオスと希望と」
カオスの先に、希望、が待っていてほしい。
アフリカの国々の、人々の希望を願って、松本仁一さんの話を週に一回、心待ちにアフリカを観ていきたい。