2013年5月8日水曜日

コンゴの彫刻家 Liyoloさんのこと

キンシャサ大学近くに建つ女性像 撮影:Dr.Shimizu

先月初めだったろうか。

”こんな大きな女性像がキンシャサ大学近くに建っていますよ。”

我が家の隣に住む日本人ドクターが、一枚の女性像の写真をfacebookで紹介していた。

キンシャサ市内の広場にはいろいろな像を発見するが、こんなインパクトの強いものが市内に建っているとは。
以前に書いたが、キンシャサ大学ってなんでこんな辺ぴな場所に建っているの??、と思うほどキンシャサの奥まった高台にあると聞くから、なるほど、わたし達の目に触れないのは当然なのかもしれない。


頭に載せたボトルは一見すると大砲のようだと感じたり、いやいや、頭の丸っこいのは葡萄でボトルはワインの瓶かも、とか呑ん兵衛の発想になったり。


台座正面に、”HOMMAGE   Aux MAMANS MARAICHERES” のプレートがはめ込まれているそうだ。


台座正面のプレート  撮影:Dr.Shimizu



「 畑仕事の女性たちに捧げるオマージュ(賛美)」


この女性像は、野菜作りに勤しむ女性たちへの賛辞を表していたのだ。
この国の女性は、結婚すると、畑仕事と子育てに振り回される生活なのだ、とわたしのフランス語の先生(コンゴ人女性)が言っていたのを思い出す。

もう一度女性像を見ると、この女性の上向き加減の眼差しに、開かれた未来を信じる力強いものを感じる。


女性像の首元のところに”Liyolo 2011”と刻まれているのも見える。

”Alfred Liyolo”

かれこそが、このコンゴ女性へのオマージュ(賛美)の像の作者なのだった。



わたしがキンシャサでLiyoloさんに初めて会ったのは、昨年3月11日にキンシャサの日本大使公邸庭で開かれた東北・北関東大震災慰霊一周忌式典会場だった。
とても人懐っこい笑顔で,ブロンズ像を制作する者です、と自己紹介された。
側にいたかれの友人が、かれは東京でも個展を開き、皇居に招かれて天皇夫妻とも歓談しているんですよ、と教えてくれた。

それからほどなくして、IWC(国際女性クラブ)のランチ会で、オーストリア出身のショートヘアが似合う上品なマダムと隣り合わせに座ったのだが、かのじょがなんとLiyoloさんの奥様だった。
わたしの夫は、日本を訪れて天皇皇后両陛下にお会いして以来、日本びいきになってしまったのよ、と話していた。

その後、わたしはLiyoloさんの名前を忘れてしまっていた。


そして、今年2月。
IWCの見学企画で、キンシャサに住む芸術家夫妻の家を訪ねる、というのがあった。
キンシャサ郊外にあるという。
我が家の運転手に訊くと、慶応大学プロジェクトのアカデックス小学校に向かう途中にあり、コンゴ人だったら知らない人はいないくらい有名な芸術家なのだ、というのだった。


そんなふうにして、またLiyoloさん夫妻に再会したのだった。


自宅庭で談笑するLiyoloさん



自宅玄関前でメンバーに説明するLiyolo夫人


彼らはキンシャサから車で1時間ほどの郊外に住んでいた。
二人は、ウィーンで出会い、1968年に結婚。
1970年にコンゴに落ち着く。
当初のかれらの住まいはキンシャサ中心地に構えていたそうだが、雑踏を逃れて現在の地に移る。
引っ越した当時は、電気も水道も来ていなかったと言う。

Liyolo夫人、Friederike Liyoloさんは陶芸家として活躍している。
彼女は教育学を専攻していたらしく、現在も、土をこねる、創造するという活動を通して障害を持つ子どもたちの教室を主宰しているのだそうだ。
かのじょはまた、結婚でコンゴに渡り、その後、キンシャサ芸術大学で陶芸を改めて学び深め、3人の子どもの母親として、芸術家の妻として、また自身も芸術家としてキンシャサで暮らしていると、TRUST MERCHANT BANK(商用信託銀行 ルブンバシが本社で支店数はコンゴ1番という。)の文化振興組織、”LE MONDE DES  FLAMBOYANTS(火炎樹の世界)”の展覧会パンフレット2010年5月版で紹介されている。



”LE MONDE DES FLAMBOYANTS”2010年5月パンフレットの表紙



”Friederike Liyolo ”紹介ページを開く

マダムのこの白い女性像は、持ち抱えられないくらい大きい。
かれらの住まいのリビングに、このマダムの作品が置かれていた。


また、同じパンフレット中に、”Maitre Liyolo”(巨匠 リヨロ)という見出しで10数ページに渡ってかれの作品の写真もふんだんに掲載して紹介されている。



”Maitre Liyolo”紹介ページ冒頭部分



「かれは、偉大な旅人であるかのような彫刻家だ。大地から大地へ、海から海を渡るのではなく、素材をさまよい求める旅人なのだ。」という文から始まっている。

「かれは素材に向き合い、その中に、表現されたがっているいくつもの顔の存在を感じ取り、そこに静かに揺らめく可能な限りの形を素材の奥底から持ち帰り表現しようと決心しているかのようだ。」

「コンゴ民主共和国のバンドゥンドゥという地方に生まれ、かれの作品の中にアフリカ人としての血を感じる。」


Liyolo夫妻の住まいの内も外も、アトリエも、そこここに点在するかれらの作品もひっくるめて、敷地内は一つの美術館だった。
部屋の中は、かれらの作品と、旅で出会い収集された芸術品がほどよく調和し、落ち着いた空間が広がっていた。



プールへと続く扉!


庭の仕切りにさりげなく掛けられた金属の大きな葉っぱ2枚!



敷地内には3つのアトリエが存在した。
息子さんの、木工作品が制作されるアトリエ。
マダムの、大きな窯が据えられたアトリエ。
そして、奥にムッシュLiyoloのアトリエ。

その空間を何人ものお孫さんが、その日がちょうど休校日だったらしく、にぎやかに飛びまわって遊んでいた。



ムッシュのアトリエの壁に書かれたメッセージ!



ムッシュLiyoloさんのアトリエの壁に、ユーモアと威厳に満ちたメッセージを見つけた。

”静粛に!
ここには創作の崇敬が宿っているー”

ここは、ものを作り出すことの崇高な気配がみなぎっているところなのだから、静かにしてね、とはにかんだ表情のLiyoloさんが心で叫んでいる、そんな気がした。


Liyoloさん夫妻がコンゴに居を移した1970年と言えば、悪名高きモブツ政権真っ只中の時代だ。
1980年代後半から90年代前半のコンゴ政府崩壊状態の時期、かれらの住まいも何度かの略奪に遭い、壊滅状態になったそうだ。そういう危機を乗り越え、二人で力を合わせて再建し創造してきた素晴らしい空間なのだ。

創作の静かな意欲が溢れる空間。
家族の愛情が溢れる空間。

Liyoloさん夫妻の穏やかな”今”がどのように醸成されてきたかを感じる。

これからも、Liyoloさんの芸術家としての旅が続きますように。

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