2013年5月17日金曜日

キンシャサ最古の教会

キンシャサでいちばん古い教会


今週火曜日、IWC(国際女性クラブ)の造船工場見学のあと、フランス人メンバーの車に便乗して帰宅する途中で、近くにキンシャサ最古の教会があるからその前を通って帰ろうということになった。
そんな教会が今も残されていたなんて。
知らなかった!


コンゴ河岸からすぐの一段高くなったところにこの教会は建つ。

キンシャサからコンゴ河を下流に向かって行くとすぐに滝があってこれ以上は下流に船を進められないという地点からほど近いところ。
言い換えると、上流のキサンガニ~キンシャサ間の滝のない区間だけ船の運航が可能だというキンシャサの最終地点からほど近いところ。
さらに付け加えると、1870年だか80年代にベルギー人探検家スタンレーがコンゴ河を探検したときに基点にしたという地点からほど近いところ。

そんな場所に、1891年に教会が建てられた。


とてもこじんまりしたかわいらしい教会だ。
20m四方くらいしかないのではないか、と思うくらい小さい。
屋根に十字架は立っていない。
その代わり、中央入り口ドアの上の三角部分に十字架模様の鉄枠がはめ込まれている。
アメリカの絵本の”ちいさなおうち”(岩波書店)を思い出させるような外観だ。

辺り一帯、今では住宅地になっていて、近くにはドイツ人一家が経営する雑貨屋、”SYMPHONIE DES ARTS”もある。
緑深い地域だ。
百年前はなにもない場所だったのだろう。
何人の神父がどのようにしてここへたどり着いたのだろう。


わたしたちが中央アフリカのバンギにいたころ・・・1994年だったと思う。
キリスト教布教百年祭がバンギのノートルダム大聖堂で開かれた時のことがよみがえってくる。
コンゴ河の支流のウバンギ川を遡って2人だか3人の神父が1894年に上陸した。
その地点に初めて建てられた教会がサンポール教会で、赤レンガの質素な美しさを持つ建物がその当時、ウバンギ河の傍に建っていた。
百年祭ミサが行われたバンギ・ノートルダム大聖堂の壁には、ウバンギ川に浮かんだ小舟からまさに上陸しようとする2,3人の神父を描いた垂れ幕が大きく掲げられていた。


キリスト教のキンシャサ上陸はそれより3年前だったのだ。


中央アフリカ共和国もコンゴ民主共和国、そしてコンゴ共和国も、カトリック、プロテスタント合わせてキリスト教徒が多い。
1960年の独立時点で、コンゴのカトリック教徒は四百万人に上り、全人口の40%近いものだったと言われる。

この春、キンシャサの大司教であるローラン・モンセングオ・パシンヤ枢機卿がローマ教皇庁の改革の仕事において教皇を助ける8人の枢機卿のうちの1人に選ばれている。
もちろん、この8人の枢機卿のうち,モンセングオ枢機卿はただひとりのアフリカ出身者だ。
モンセングオ枢機卿の人となりをコンゴの人たちに尋ねると、読書家で勉強熱心な人だという答えが返ってくる。コンゴ人からの信望も厚いのだなあと感じる。
「モブツ・セセ・セコ物語」の本の中でも、モブツ大統領に対して厳しい提言をし続けてきた人物として描かれている。


キンシャサ最古の教会を後にして、そんなこんなを思い出しながら帰路に着いたのだった。


鉄扉の左側の銅版に教会の説明書きがある


2 件のコメント:

  1. ブログ筆者です。
    今朝、「コンゴ最初の教会」と題してブログを書いたのですが、Kinshasaが首都になる前に首都だったという大西洋岸沿いの Boma(1886.5.1.~1929.10.31.の時期に首都)にある大聖堂が一番古いのではという指摘を受けました。調べると確かに、Cathedrale Notre-Dame de l'Assomption a Bomaは1886.9.2.建立とありました。残念なことに当時の建物は現存していないようですが。
    わたしが見たKinshasaの教会は、”la Chapelle Sini”と言うそうです。”cathedrale”は大聖堂、”chapelle”は礼拝堂とか小教会堂という意味だとか。詳しくは、またこの礼拝堂まで行って調べたいと思います。
    いかんせん、今日から3日間、キンシャサ・オープンゴルフが始まり、夫婦で初参加しています。初日の今日は緊張と炎天下のプレイで疲労困憊。とりあえず、ブログの題名を「キンシャサ?最初の教会」というふうにしました。キンシャサ・オープンゴルフが無事に終わるまで保留にさせてください。ごめんなさい。

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  2. 再び、ブログ筆者です。

    Bomaの聖母の被昇天ノートルダム大聖堂( Cathedrale Notre-Dame de l'Assomption)は、1886.9.2.にベルギーのシャルルロア近くの鍛冶屋工場で分解した状態で作られ、1888.9.26.に”アフリカ”という船に積み込まれ、1889.9.21.にBomaに到着した。それはperes scheutistesの布教のためだった。当初、長さ25m,幅12m,高さ15mの建物だったが、後に現在の大聖堂に取って代わられた。

    そんなことがWikipedia Bomaの項に記載されています。
    それでは、キンシャサオープンゴルフ2日目に行って参ります!

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