2017年3月31日金曜日

キンシャサ便りふたたび27 ”ミシリ”~キンシャサのワラビはたまたゼンマイか

キンシャサの”ミシリ”
今回のキンシャサ滞在で初めて知った野菜がある。
「ミシリ」という山菜だ。
上の写真がその「ミシリ」だ。
一束300コンゴフラン。日本円で50円もしない。
1束20本くらいはある。
長さが分かるように置いた歯ブラシが17cmだから、ミシリの全長は30cmほどだろうか。ただ、下の方は茎は堅いから数センチは切って捨てる。
アクが相当強いらしいが、地元の人たちにはポピュラーな野菜だということだ。

昨年9月にわたしが夫より3か月遅れてキンシャサに入ったとき、こっちで見つけたゼンマイで佃煮を作ってみたと食卓に並べてくれたのが「ミシリ」との初めての出会いだった。

夫が調理した「ミシリ佃煮風煮」

なかなか美味しい。舌触りもいい感じだった。
ビールにも合う。

夫曰く~
沸騰した湯に重曹を入れて茹で、冷水にとって洗い、新しい冷水に浸けて冷蔵庫に入れて一晩置く。翌朝、水は真っ黒になっている。そのミシリを切って、油で炒め、しょうゆ、砂糖、だし粉で味付けする。クックパットで検索したレシピらしい。

ここで、ハタ、と気づいた。
この「ミシリ」は、日本のワラビなのか、ゼンマイなのか。

調べてみると。
<ワラビ> コバノイシカグマ科のシダ植物で、草原、谷地、原野などの日当たりの良いところに群生する。採集時期は4月中旬から6月上旬頃。
新芽は食用にされ、ぬめりがあり、くせのない味がする。アク抜きの後、すぐに食べられる。

<ゼンマイ> ゼンマイ科のシダ植物で、山野の渓流のそばや水路の脇など水気の多いところに生える。採集時期は3月中旬から6月上旬頃。
新芽は食用にされ、独特の食感がある。アク抜き後、すぐに食べられない。アク抜き→揉んで乾燥、を繰り返す。

新芽の外観上の最大の違いは、<ワラビ>は小さな芽が3つある。<ゼンマイ>は大きなうずまき状の芽が1つ。
<ワラビ>は緑色もしくは紫色だが、<ゼンマイ>は産毛のような茶色の毛に包まれているので茶色または深緑のような色、ともある。
また、<ワラビ>には微量だが発がん性物質ブタキロサイドが含有されているが、<ゼンマイ>には含まれていないそうだ。
値段は、 ” ワラビ<ゼンマイ ” なのだそうだ。生えている場所(探す場所)を考えるとうなずける?

では、キンシャサの「ミシリ」はどうか。
ぬめりはないし、小さな芽が3つということもないから<ワラビ>ではない。
でも、産毛もないから<ゼンマイ>でもない?
ふむ。
ワラビ、はたまたゼンマイか。
日本には存在しないシダ植物だということにしておこう。


日本は春分の日が過ぎ、桜前線北上中なのだろう。
キンシャサは南回帰線と北回帰線に挟まれた南緯4度に位置するから、この頃にちょっと不思議な現象が起こる。
日本の春分日の直前あたりに太陽の南中高度がぴったり(かどうかは知らないが)90度になることがある。つまり、南中時刻に影がなくなる、ということだ。
そして。その後、しばらくは、太陽は東から昇って、北側(!)に軌道を取って西に沈むのだ。
つまり、日差しは北向きの窓から入ってくることになる。

春分の日の直前あたりから夏至を過ぎ、ふたたび秋分の日の直後くらいまで、太陽の軌道は北側を通る、という日本人として育ったわたしにはまことに摩訶不思議な現象がみられるのだ。

そのことに気づいたのは、子どもと一緒に家族で過ごした中央アフリカ共和国のバンギでのことだった。
バンギは北緯4度。やはり、南回帰線と北回帰線に挟まれたところに位置する。
子どもたちの理科の教科書で、頭をひねくり回して一緒に考えた。
日本は、北回帰線からも外れて北に位置する国だから、一年を通して、南中高度は変わるけど、毎日毎日、太陽は東から顔を出すと南側(!)を通って西に沈んでいくのだ。
そんなこと、考えもしなかった、25年前まで!
ああ、わたしたちは地球に住む地球人なんだー!、と実感したのだった。
なんて。
とんでもない方向に話は進んでしまった。
でも、いちど、熟考されたし!

昨夜、更新したつもりの「キンシャサ・ミシリ」のブログが削除されていることに気づき、今朝早く起きて、もう一度書いたブログ記事でした。

2017年3月27日月曜日

キンシャサ便りふたたび26 久しぶりのAcadex学校再訪

Acadex学校校舎を出て校庭を横切る

3月17日、約3年ぶりに、キンシャサ中心地から1時間半ほどの高台にあるKinbondという地域に建つAcadex学校を友人たち,夫の4人で再訪した。

初めてAcadex学校を訪れたのは2012年3月頃だった。
慶応大学藤沢湘南校の教育チームと建築チームが支援実践する現地の子どもたちのための学校で、初訪問の時はまだ校舎は一棟だけで、広大な校庭が印象的だった。
それから機会があるたびにわたしたちは2度、3度とこの学校を訪ねた。
そのたびに、校庭で生徒たちが歌(日本の歌も!)と遊戯を披露してくれて歓迎してくれたことを懐かしく思い出す。来訪者を受け入れてくれる開かれた学校だというイメージを持つ。

毎年、夏休みを利用して教育科、建築科の学生たちと教官がKinbondに滞在して、学校のカリキュラム運営に関わり、また、2教室続きの一棟ずつが建設されていく予定だと最初の訪問で聞いて、小さな一粒、二粒の種が芽を出して伸びて行こうとするイメージを思い描いた。

それが、なんと今回の訪問で、校舎が着実に増築され、校庭の周りをぐるりと囲んで建っていたのだ。あれだけ広いと感じていた校庭が狭くなってしまっているのにびっくりした。

Acadex学校は現在、幼稚園年中組と年長組、小学校6学年、中学校3学年のクラスができて(何と日本式の学年分け!)、熱心な授業が繰り広げられていた。
地域的に水道が引かれていないから、校内に雨水を貯めるシステムを取り入れて貯水タンクが校内に設置され(安全上、しっかりと施錠されていた。)、水洗トイレなどに利用されているそうだ。
電気は停電が多いのか、時間制限なのか?
だから、屋根の傾斜を工夫設計して、天井からの自然採光で教室が明るく保たれている。
明るい教室で学べる環境は大切な教育条件だと思う。


幼稚園年長クラス アルファベットを書く授業が行われていた

慶応藤沢湘南校で教鞭を取るコンゴ出身のサイモン先生が日本式の学校システムを取り入れた学校を故郷に建てたいという意志を汲んで、長谷部葉子先生率いる教育のゼミ生たちと、建築科の先生とゼミ生たち(後に保健衛生チームも加わる)がAcadex学校プロジェクトを始動したのが約10年前だという。
学校の敷地はサイモン先生所有の土地だと聞いた。
10年の間に、こんなにしっかりと、幼稚園から中学校までの教育の芽が育ち花咲かせていたのだ。

Acadex学校の象徴であるアーチの丸い校門(建築科学生たちの2年がかりの力作だったことも思い出深い!)もそびえ立ち、訪問者を歓迎するかのように花壇が整えられ、小さくなってしまった(!)校庭があり、その校庭をぐるっと囲むように4棟(だったか?)の校舎が建っている。
教員室もある。
内科医でもある校長先生のヴァスティーさんが私たちを各教室に案内してくれた。
彼女はまだ若い女性だが校長先生としての強い責任感を持っている賢明な女性だ。日本語も勉強しているそうだ。

シゲキセンセイから習ったという歌とお遊戯で歓待してくれた年長、年中クラスの園児たち

教育チーム、建築チームに、途中から保健チームも加わって、校内に明るく清潔な保健室も設置されている。展示物が充実していて視覚的にも楽しく、居心地の良い室内だった。





エプロンを使って、あなたたちのお腹の中にはこんな内臓が入っていて、口からご飯を入れるとこんなところを通ってかみ砕かれて栄養分を取って、ここで息をして血液を全身に流し、不要分はうんちやおしっこになって体外に出て行くのだという仕組みをわかりやすくイメージできるようにしたり、模型や有名サッカー選手のポスターを使った展示物で自分の体に興味を持つような工夫がすばらしい。
水道のない校舎内では、雨水が貯められて使われているが、保健室ではピンク色のかわいらしい洗面手洗い器が入り口に設置されていた。
帰るときにもう一度保健室を訪ねると、お腹が痛いという女の子がベッドに横たわっていた。


Acadex学校に向かうために幹線道路から右折すると未舗装の狭い道路がくねくねと続き、今回も道に迷ってしまった。
すると、また、地元の子どもたちがどこからか湧いて(!)きて方向を指してくれる。「日本の学校」と尋ねると界隈の人たちは皆、あそこだよと教えてくれるのだ。
前回は、小さな子どもたちが数名、わたしたちの車に乗り込んでAcadex学校まで案内してくれたが、今回は、自慢の(きっと!)自転車にまたがった男の子二人がついてこいと言わんばかりに先導して案内してくれた。お礼にお土産のキャンディをあげると目を輝かせて受け取った。
そして、到着後もいつまでも、校門の外でじいーっと校内を見つめていた。かれらは、学校に通っていないのかな、それとも、違う学校に通っているのかもしれない。
この国には、義務教育制度がないから、お金を払えないと小学校にも通えないのだ。

ここに通う園児、学童、生徒たちは皆、清潔な身なりをしている。教育熱心な家庭の子どもたちだと想像できる。

Acadex学校が初めて園児と小学校1年生を受け入れてから10年。
来年度には第一期生も高校生になる。そんな彼らに合わせて、今夏には高校クラス設置に向けて始動するそうだ。
高校3年終了時に実施される大学入学資格のためのバカロレア試験対策カリキュラムにも着手するのだろう。
また、来年度には幼稚園年少クラスも設置されるのだそうだ。


コンゴ出身のサイモン先生の夢が、慶応大学で根付き、教官、学生たちにバトンタッチされていき、この10年で大きく大きく育っていっている。
夫が、しみじみと言った。
「最初に訪問した時は生徒数100人と言っていたなあ。でも、今回の訪問で生徒数が400人になったと聞いたよ。すばらしい教育を実践している証拠だなあ。」

すばらしい学校を作り上げてきたこのプロジェクトに関わるすべての方たちの実行力に大感動の一日だった。

※ Acadex学校プロジェクトの記述で間違い箇所がありましたら、ご指摘ください。ご迷惑をおかけすることのありませんように。(筆者)

2017年3月14日火曜日

キンシャサ便りふたたび25 日本大使館私書箱に届いた日本からの手紙

  寝室の大きな窓から、朝陽に向かって列をなして飛んでいくいくつもの鳥の群れが目に入り、一日の始まりを告げる。
そして、リビングの大きな窓から、夕陽に向かってやはり群れを作ってきれいに並んで飛んでいく鳥たちの光景が広がる。
朝陽に向かって一日の仕事に出かけ、夕陽に向かって巣に帰っていく鳥たち。
いくつもの群れが次から次へ空を横断していく。
朝方と、夕方の時間帯のスペクタクル。

太陽がかれらの活動のすべての目印なのか。
たまたま、目指す方向、巣の方向が、昇る朝陽と沈む夕陽の方角と一致するだけなのか。
不思議だなあ、とひとり思いながら眺めている。

やっぱり、大きな窓は視野も心も大きくしてくれる、かな。


さて、引っ越して2日目。
大家さんの関係者でキンシャサの日本大使館現地職員として勤務するかたが、わたし宛ての手紙が大使館私書箱に入っていたからと、わざわざ我が家まで届けてくれた。


4か月かかってわたしの手元に無事届いた日本からの手紙


ホントだ! ”Mme. INOUE Hiroko” と書かれている。
でも、しっかり、”ゴンべ郵便局私書箱3118” と書いているのに、なんでまた日本大使館の私書箱に入っていたんだ?
しかも、キンシャサ到着スタンプは、3回押されていて、いちばん古い日付は”02.Nov 2016”になっている。


3回押印されたRDCキンシャサ郵便局受領スタンプ

またまた、4か月もかかってわたしの手元に届いたのだった。
わたしがここに引っ越してきたからこそ、わたしの身元が分かって届いたのかもしれない、と思うと、”縁”を感じてしまう。

やっぱり、引っ越して正解だったのだ、という象徴のようなこのうれしい手紙。
わたしのハープの先生からの便りだった。
ありがとうございます!!!

腰痛の日々に明るい日差しがサーっと入り込んだような出来事だった。

2017年3月10日金曜日

キンシャサ便りふたたび24 引っ越し

シティーマーケットやエリックカイザーなどが並ぶ商業地区からちょっと入った小さな平和通りの古いホテルアパートに最初に入居したのは、2014年の6月末だった。
前回の帰国までの最後の1か月の帰国準備のための引っ越しだった。
緑の多い住宅地から、ごみごみした商業地に移るのはちょっと寂しかったが、以前のアパートで頻繁に起こっていた停電や断水から全く無縁になった生活に心底ほっとし、感謝した。
その時は、ホテルアパート最上階の3階の1LDKだった。

そして、昨年6月に夫のキンシャサ滞在が始まり、再び、同じホテルアパートの2階の2LDKの部屋に入り、わたしが9月にキンシャサに到着してもそのまま平和通りのホテルアパートの同じ部屋に住み続けた。




管理人や門番たちはとても親切だった。
停電してもすぐに自家発電機が稼働したし、断水は一回だけだった。
でも。
正直に言って、部屋は古くて窓はあっても小さくて暗いし、台所の流し台は狭い。そして、部屋のカゴに入れた洗濯物を家政婦が持って行って、別棟の共用スペースにある洗濯機を回しアイロンをかけて、またカゴに入れて午後3時ころに部屋まで持ってきてくれて、融通は利かないし、いったい誰の洗濯物と一緒に洗われているのだろうという危惧もあった。
すべてが仮住まいのようで落ち着かなかった。

もうキンシャサ滞在も残り3か月ほどだし、停電と断水がないというだけで十分ありがたいと思っていたので、引っ越しをするということは頭に浮かばなかった。


ところが、降ってわいたような入居者募集の物件の情報が2月中旬、友人を通してわたしたちに届いた。
縁、というものだろうか。
とんとん拍子に話は進み、先月末から荷物を運びこみ、3月1日に引っ越し完了。


引っ越し先の大家さんが日本人をよく知るベルギー人夫妻で、ご主人と息子さんは自宅と同じ敷地内で歯科クリニックを開く歯科医。そのクリニックの2階に息子さんのために建てた部屋が今回のわたしたちの引っ越し先だった。



キンシャサ一番のメインストリートの6月30日通りの起点となる中央駅を西に進んでフランス大使館、日本大使館を越え、橋を渡り、さらに進む。中央駅からだと、ちょっとした渋滞も入れて30分はかかるだろうか。
中心街から、ちょっと郊外へ。
郊外と言っても、6月30日通りに面しているから往来の音が聞こえてくる。
空港からも船着き場からも離れるから、政変などで国外退避の時にはちょっと厳しい地域になったね、とも言われた。
夫の現場からも離れてしまう。
行きつけのスーパーマーケットからも離れてしまう。
それでも、大家さんがベルギー人の親日家で、歯科クリニックを自宅敷地内で開業し、その同じ敷地内の部屋だということで、わたしたちは安心して引っ越しを決められた。
電気、水道設備がしっかりしていて、安全面も堅いというのは何にも替えられない必須条件だ。

大家さんのマダムは、シンプルな家具、照明器具、カーテン、ブラインド、食器一式、耐熱ガラスの保存容器、テーブルクロス、家電一式、洗濯、掃除用品、ベッド用品一式などなどここまで気配りしていただけるのかと感謝するほどの物を用意して、わたしたちを受け入れてくれた。

大きなサッシ窓があちこちにあって、部屋の壁が白いので明るいし、開放感がある。
台所スペースもいくらか広くなった。
専用洗濯機があり、室内物干しもある。
なんと、バスタブもある!ただし、日本みたいに湯を張るには、大鍋で湯を沸かして浴室まで運ばなければならないけど。

そして、ここの地域の水のきれいなことにびっくりした。
以前のアパートでは水が茶色く濁っていたが、こちらのはほぼ透明!
2013年に日本の援助で完成したンガリエマ浄水場のお陰だ、と夫と話している。
最初のアパートで、浄水場工事の大日本土木のスタッフの方々とお隣同士だったことがあり、日本人技術者たちは、ンガリエマ浄水場を出た時点の水は飲料可能だと自慢げに話されていたのを思い出す。
わたしたちも今回、その恩恵にあずかるとは、思ってもいなかったプレゼントだ。

夫には通勤で不便をかけてしまっているが、引っ越して正解だったと思う。
キンシャサのいろんな地域に住めるのもおもしろい。
我が家リビングの窓からの風景だ。
6月30日通りの照明灯も見える。
黄色と緑色の壁はガボン大使館の建物。右の写真は”エメラルド・スクール”という学校で、英語フランス語の二か国語が学べます、という宣伝文句が壁にペンキで大きく書かれている。
こうやって眺めていると、それぞれの庭にパパイヤ、アボカド、マンゴなどの果実の木が植わっていることが分かるし、椰子の木がアフリカらしい景色を作っている。



いちばん最初に住んだ住宅地のアパート、そして平和通りの商業地に建つアパート、今回のちょっと中心地からは離れるけど大通りに面した歯科クリニックの二階。
見える景色が違っておもしろい。

今回の引っ越しで夫婦して腰を痛めてしまった。
昨年12月の、エコノミー席での地球大移動(ちょっとオーバー)で腰をやられ、さらにこの引っ越しで完全に痛めてしまったようだ。
先週からゴルフはストップ。
あまりの痛みに、わたしは友人の紹介でベルギー人女性の整骨医にお世話になった。今日も夕方の予約を入れてもらっている。

今月19日の日本人ゴルフコンペには参加したいけどな。

2017年2月28日火曜日

キンシャサ便りふたたび23 ポワルー街路灯、点灯始まる!

ポワルー道路の街路灯 19:00(2017.2.16.)

今月16日、ポワルー道路の街路灯設置工事がずいぶん進んできたから、また見に行きたいと夫が言い出した。もう何度、見に行ったことだろう。
今夕は、街路灯の点灯の瞬間を見たいのだ、と言う。
夫は、ポワルー改修拡幅、そしてこの街路灯設置プロジェクト双方に関わってきているのだった。

わたしも行くー!、ということで、めでたい夫婦は、またまた運転手のボボに頼んで、夕方6時半目指してポワルー道路に向かった。


到着したとき、18:15。
南緯4度のキンシャサは、ほぼ朝6時前後に日の出、夕方6時前後に日の入りを迎えるのだが、2月のキンシャサは夕方6時過ぎても薄明るい。


日没前、街路灯は未点灯 車内の時計は夕方6:26(2017.2.16.)

夕方6時半頃に、やっと暗くなってきた。

そして、6時半過ぎて、街路灯は点灯し始めた。

ポワルー道路街路灯が点灯直後の様子 18:30過ぎ(2017.2.16.)

太陽光電池の街路灯は夕方18:30過ぎに点灯を始め。夜中の人通り、車の通りの少ない時間帯(夜中0時過ぎ)は灯りを弱め、朝6:00に消灯する、というふうに自動コントローラーで時間設定をしているのだそうだ。
充電バッテリー容量と、日照時間や通行量の関係からの設定だ。


さて、電柱の基礎部分の工事を見てみよう。


街路灯電柱が設置される基礎部分の工事 2017.1.30.(コンゴ人技師facebookより)


ポワルー道路沿いに電柱が埋め込まれたところ 
まだ土がむき出しの状態だが、この後、表面が舗装されて完了となる(2017.2月中旬)
左後方に”KITEA”の看板が見える(コンゴ人技師facebookより)

現在、土中の基礎工事はすべて終了したのだそうだ。
コンクリートの土台を土でいったん覆って電柱設置を待つ。
順次、土を取り除いて、大型ネジで電柱を土台に取り付け、再び土を被せていく。
その後、電柱周りは歩道と同じような舗装が施されて設置完了となる。
ポワルー道路沿いに設置される太陽光街路灯は全部で563本。
そのうち半分以上の電柱は取り付け済みだと聞いた。


2017年1月26日(木)付のコンゴ民主共和国の日刊新聞紙、”Observateur”に、日本政府援助で、ポワルー舗装道路改修・拡幅工事に続き街路灯の点灯工事が始まっている、という記事が載った。


Observateur日刊紙のポワルー道路街路灯設置の記事

夫は、この記事の街路灯の写真を見るなり、街路灯の写真が違うと憤慨した。
ポワルー道路拡幅工事施工前に立っていた、電線の付いた古い街路灯だ、と。
確かに、新しい街路灯は太陽光利用なので、電線がない。
以前の街路灯は、電線が切れて機能していなかったと聞く。
それでも、その古い街路灯たちは修理されて、別の道路の街路灯として使い回されているとも聞いたが、ぜひ、そうであってほしい。

この記事を読むと(辞書と格闘して読んだ!)、ポワルー道路沿いの住民たちがどれだけ、街路灯設置を待ち望んでいたかが理解できる。
また、沿道住民の声として、ポワルー道路の舗装改修と拡幅工事に感謝し、さらに街路灯設置に対する日本政府の援助にも感謝を述べているし、更に、コンゴ民主共和国と日本の関係が良好なのは、ポワルー道路のプロジェクトだけでなく、職業教育分野や保健衛生分野にも日本の援助が入っていることでも分かるとも紹介されていた。

新聞、テレビ、ラジオなどのメディアにも取り上げられ、建設大臣一行の視察団も現場を訪れ、日本の支援が入っていることをコンゴの人々に知ってもらえることはうれしい。

コンゴからはるか遠い日本に思いを馳せてくれる小さい子どもたちがこの国に増えたらな、なんて思うのだった。

2017年2月22日水曜日

キンシャサ便りふたたび22 キンシャサの大型ホームセンター

昨年9月にキンシャサに再び到着した時、友人からリビング用品百貨店のような店がオープンしたと聞き、キンシャサ在住外国人(+コンゴの富裕層)にとって便利になったなあと感慨深いものがあった。


キンシャサのホームセンター ORCA (2016年撮影)

キンシャサ生活が始まって早速、その友人の新しいお宅に伺い、敷かれていた玄関マットにまず感動した!

これ、フランスで買ってきたもの?

以前、わたしはキンシャサで使う玄関マットを探し回って見つからず、娘の住む南仏でわざわざ買って運んできた経緯があった。

ああ、これはキンシャサよ、キンシャサのリビング用品のお店で買ったのよ。
こともなげに言う。
ビル全体がリビング用品だと言う。
えー!そんなリビング用品のお店があるの!行きたいー!

ということで連れて行ってもらったそのリビング用品の百貨店のようなお店のビルの前に立って、まあびっくり!驚いた。
教えてくれた友人は、前任地のブルキナファソのウアガドッグにも同じホームセンターがあったから、アフリカじゅうにあるチェーン店ではないかと言う。

ともかく、全館6階建てだったか、リビング用品がすべて揃うと言っても過言ではない!
皿、コップ、グラス、ナプキン、鍋、フライパン、電化製品、家具一式、カーペット、玄関マット、シャワールーム、バスタブ、タオル、洗剤、カーテン、庭用品、写真立て、文具(なんとノートがなかった)、スポーツ用品、かばん!
本当にゴルフ用品以外(!)なんでも揃っていた。
しかも、そんなにべらぼうに高くはない。(ちなみに、キンシャサの物価の高さはアフリカ一と言われている。)
友人が言うには、アイロンは他のスーパーマーケットで買うより格段に安かったとか。


2012年1月にキンシャサに来たときに存在したホームセンターといえば、”African eagle”というちょっと大きめのよろずやもどきの店だった。
タオルは花か龍か仙人模様の柄の中国製の粗悪品。食器や鍋もひと昔もふた昔も前の先進国で売れ残ったようなものが埃かぶって乱雑に置かれていてがっかりし通しだった。

家具屋と言えば、キンシャサ郊外に家具製作所に直結した青空市場の家具屋で、そこの家具を買ったら土の上に置かれているから、すでにシロアリがへばりついて木材が喰われているという代物だった。

ちょっとしたリビング装飾品を探そうにもそんなこじゃれたショップはなかった。
”Habitat”という、名前だけはフランスでも見かけるリビング用品店は2、3店舗存在したが、なんとも、ベルサイユ宮殿に住まうつもりですか、と訊きたくなるような成金趣味的な、ゴージャスな、おまけに目が飛び出すほどの金額の家具ばかりが陳列されていた。
でも、だからこそ、ちょっとお洒落でシンプルなリビング用品店を発掘する楽しみもあったのだが。
(そういえば、北欧家具のような素晴らしい家具を作る、北欧人指導の家具の工場直結の展示ルームを紹介されて訪ねたことがあった。確かに素晴らしい家具だったが、高価格にたじろいだことも懐かしい思い出だ。)

そして、最初の頃のブログで紹介したが、夫から、ポワルー道路工事現場近くのリメテ地区にリビングショップを発見したと聞いたときは天にも昇る気持ちだった。
夫は、”IKEA”がキンシャサにもあったぞー!、と言ったのだったが、行ってみると、なんと、その名も”KITEA”。



キンシャサの ”KITEA”ショップ (2012年撮影)

KITEAに来てや~。なんて。
肩すかしにあったような気分になったものだ。
それでも、屋根付きの店舗のセメントの地面に並べられた家具を見て安心感があった。
べニア板で作られたちゃちな家具ではあったが、シンプルなデザインだったし価格もそれなりで、キンシャサにもまともな家具屋ができたとうれしかった。
モロッコからのチェーン店だという噂だったが、今も、ポワルー道路近くで、健在だとは夫からの情報だ。

そして、2016年後半、2,3のショッピングモールがキンシャサにオープン。
体裁を取りつくろうのが好きな(失礼)富裕層コンゴ人向け、そして、外国人向けになのか、どこのショッピングモールにも家具屋が入っている。

キンシャサの大型ホームセンター、”ORCA”。
そこのビニル買い物袋にイルカのような魚のマークが印刷されている。ビルの正面にも同じ魚のマークが付いている。調べてみると、”ORCA”は、英語で”シャチ”の意味だった。
6月30日通りをキンシャサ中央駅に向かって進み、中央駅を右折して直進した突き当りの白い建物で、入り口に大きく赤い枠が目立ち、その上にシャチのマークが見える。

”ORCA”の商品。そんな高くもなく、品質もしっかりしていて、普通にシンプルな台所用品、洗面用品などの生活用品が各階ごとにテーマを持って、そして更にジャンル別に理路整然と棚に取り出し易く並んでいる。
キンシャサで、日本でも普通に見られるような日用品や家具(やはりちょっとけばけばしい趣味のものもあるけれど)を選べるようになったことは、他国からの滞在者には本当にありがたい。

2017年2月20日月曜日

キンシャサ便りふたたび21 キンシャサのコーラスグループ ”KINPHONIK”

先週2月17日夜、キンシャサの美術展示場、Texaf- Bilemboで、”KINPHONIK”のコンサートが催された。





”KINPHONIK”は、Francy BAMBAさんをリーダーとする16人(かれらのfacebook上では14人と紹介されているが?)の混声コーラスグループだ。2,3人ほど欧米人のメンバーがいたが、おそらく、キンシャサで活動する、コンゴ人のグループだと思われる。

キンシャサ情報通の日本人の友人から、KINPHONIKコンサートを勧められて夫と行ったのだった。大人一人20米ドル、子ども料金もあり、15~10歳一人10米ドル、10歳未満無料。小さな子まで入場できるのも家族一緒に楽しめてうれしい企画だった。
そして、かれらの歌声にのめり込んだ3時間だった。

昨年は、PULLMAN Hotelで開かれ、いろんなジャンルの歌が披露されて客席で踊る人もいたと聞くが、今年は、題して、
「WOLFGANG QUI ?」・・・・・ウォルフガングってだれ?




もちろん、 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトのこと。
これが、今回のKINPHONIKコンサートのポスターだ。

ということで、2部構成のコンサートでは、モーツァルトの曲を中心に20曲が披露された。
ソプラノ3人、アルト5人、テノール5人、バス3人の混声グループ。
低音がなんとも魅力的なグループだ。
電子ピアノとシンセサイザーだけの伴奏。
最初は、スポンサーのひとつ、飲料会社BRACONGOのビール銘柄のTEMBOの布地を使ってのコスチュームで幕が上がった。
そして、男性は黒の革ジャン、女性は色鮮やかなショートジャケットに身を包んだパンツスタイルでカジュアルで軽快な雰囲気のステージになった。
そして、最後は、アフリカ布地を使ったゴージャスなステージ衣装に替えて現れた。





圧巻の歌唱力、演技力。
そして、衣装も鮮やかで、視覚でも観客を楽しませてくれた。

場所は、以前、アフリカ布地の工場だった建物をそのまま美術展示場として使う(だからこそ)ちょっとオシャレな空間、Bilembo。
広い空間に200人は優に超える観客が集まり、ビールを片手に、小さい子どもたちもOKで、15分間の休憩では、客席後ろにスナックも並んで、すばらしいコンサートを堪能した。

かれらのステージを観て、2013年だったかに日本でも公開されたドイツ制作の映画、”Kinshasa Symphony”を思い出した。
キンシャサのカトリック系教会”Kinbanguiste”に付属したコンゴで唯一のオーケストラの団員の日常を扱ったドキュメンタリー映画だった。
クラシックの楽器を入手することもままならないコンゴで、バイオリン数丁から始めたオーケストラだ。指導者も大変だったことだろう。そのオーケストラには、合唱団も存在していた。オーケストラ活動だけでは生活できない団員たちは、それぞれに仕事を持っていた。
キンシャサの街の中で仕事を持ちながら、練習に集まってくる団員たちを描くとても良い映画だった。
かれらが映画の中で言っていた。
音楽(歌)があれば、生活上の困難も忘れられる。病気で熱があっても吹っ飛んでしまう、と。
コンゴの音楽と言えば、リンガラミュージックしか頭に浮かばなかったが、ここでもクラシック音楽が育っているのだと感動した。

”KINPHONIK”のfacebookを見つけた。
非営利団体、ということは、プロではないということだ。
今回のコンサートでは、銀行やホテルなど7社のスポンサーがついていた。

”Kinphonik”で検索してみて。動画も観られるはず。
本当にすばらしいコーラスをありがとう!