2014年8月28日木曜日

こぼれ話1 : 帰国して3週間が経って

JR赤羽駅西口あたりの風景

8月5日に、赤羽の自宅に到着して、早くも3週間が経った。
3年近く空室にしていた自宅マンションに再び息吹を入れ込み、銀行や役所や郵便局で諸手続きをして回り、電話やインターネットを整備して日常生活が始まった。
ふるさとに帰省し、老親や親戚や友人たちとの再会を楽しんだ。

東京生活再開でいちばん手間取ったのは、通信情報網の設定だった。
電話がなければ何もできないことを痛感した。

わたしたちがまずしたことは、近所の携帯電話ショップに行き、スマートフォンを入手したことだった。
わたしのパソコンはキンシャサで処分したので、慣れないスマートフォンをいじくって友人たちにメイルを送った。とはいえ、慣れないスマートフォンの上、画面が小さくて、目が疲れて頭痛はするし、普段の何倍も時間がかかった。
夫のパソコンが使えるときは、スマートフォンのテザリングを使ったりも。
まだ、お礼を済ませていない友人たちもたくさんだ。
少しずつ、少しずつ。

わたし用に購入したパソコンがやっと届き、昨日からまたパソコンからネットが使えるようになった。
その設定も夫頼みで、頭痛がしてストレス貯まりまくり!!、だった。
(この3年近くの間に、日本のネット環境が一新し、浦島花子状態だ。)

それにしても、日本の生活の中で痛感することは、時間、空間、サービスなどあらゆる面で息が詰まるほど緻密なこと。それが便利でもあるのだが。

街中でいたるところに貼られる広告の多さに目を回す。
電車に乗っても、吊り下がる広告をはじめ、車内のすべての空間に広告が貼られている。
(キンシャサで走り始めた路線バス内にこんなにも広告が氾濫しているだろうか。わたしは残念ながら乗車したことがないからわからない。)

キンシャサの街中では、店舗の看板以外は、道路脇に立つ大判広告塔が遠くに見えるくらいだった。
キンシャサでは、わたしの視線ははるか遠く数十メートル先にピントを合わせていたのだなあ。
東京の街中では、数十センチ先の車内広告から数メートル先と、狭い空間の中でピントがクルクルと動いて、本当に目が疲れてしまう。

とはいえ、レトルト食品、冷凍食品、惣菜、半惣菜といった便利食品が並び、簡単にご馳走にありつけることに感謝するのだが!(キンシャサでの手間取った食事準備をなつかしくも思ったり。)


JR赤羽駅 北改札口



ということで、またこうやって、”キンシャサ便り・こぼれ話”を更新できて、ありがたき幸せ~!
もうしばらく、お付き合いください。

2014年8月3日日曜日

L’éléphant vert: スイミーと、キンシャサのンブンジ

キンシャサのゴルフ場でいつも出会う、ンブンジという小人のような小さな小さな小鳥がいる。そして、かれらはいつも集団で飛んでいた。
そんなかれらの姿と重なるのが、「スイミー」の物語だった。
そんなことをキンシャサからの最後のブログにつづってみた。

8月3日、今夜の便でキンシャサを発ちます。
まだまだ書いておきたかったことは、キンシャサ・こぼれ話として、更新していきたいと思います。
もうしばらく、お付き合いくださいませ。
2年半ちょっとの間、どうもありがとうございました。


L’éléphant vert: スイミーと、キンシャサのンブンジ: 娘が小学校2年生のときの光村図書出版の国語の教科書に「スイミー」の話が載っていた。 黒い小さな魚のスイミーは、とても賢く泳ぎも得意だった。 かれだけ黒くて、兄弟たちは赤い。 ある日、兄弟たちが大きな魚に食べられてしまい、スイミーひとりぼっちになってしまう。 ひ...

2014年8月1日金曜日

ゴンベ郵便局私書箱3118号

コンゴ民主共和国の郵便局は機能していない。
2年半前にキンシャサに到着したとき、そう聞いていた。

だから、手紙は投函できないし、郵便物も受け取れないのだと。
確かに、6月30日通りにデン!と建つ郵便局本局は立派だけど、中身がスッカラカンっぽく見えて機能しているとは思えなかった。

ところが、キンシャサに着いてすぐ中村寛子シスターにお会いしたとき、シスターからゴンベ地区の郵便局だけは機能していて郵便物は出せないけれど、私書箱を設けていれば郵便物を受け取れるということを聞いた。
(長くコンゴに在住されたシスターには、郵便局のことだけでなく、布地屋,文具屋などの日常生活情報、コンゴの食事や文化の話など色んなことを教えていただいた。)

そして、シスターに連れて行ってもらい、ゴンベの郵便局長さんに紹介してもらった。


2012年10月のフランス語圏会議を機に入り口に鉄格子が入りペンキも塗り替えられたゴンベ郵便局

シスターの話では、ゴンベは外国人が多く居住している地域で、その地区の郵便局は航空便で到着した郵便物を私書箱に入れ続けることでゴンベ郵便局の私書箱は機能していると認識されれば独自に外国人から私書箱代や小包に対して手数料、税金を回収できる、ということを学んだ局員が働き始めたのだ、と言うことだった。
(週に2,3回の航空便が届く日以外は、いつ行っても局員たちは入り口に椅子を出して日向ぼっこで井戸端会議を楽しんでいるのだったが。)

シスターに連れられてゴンベ郵便局に足を踏み入れたときは、局内は埃だらけで雑然としているし照明も付いていなくて暗く、果たして本当にここは郵便局として機能しているのか、と疑問に思ったものだ。
私書箱番号を書いていない郵便物は局内の棚の上に山積みされて放置されていた。

シスターは以前、ボランティアでここの郵便局で郵便物処理の仕事を手伝ったことがあるのだそうだ。だから、局長さんとは顔なじみで、シスターの修道会の私書箱に郵便物が入ると電話をくれるのだと言われていた。
局長さんは、小柄な穏やかそうなムッシュだった。
局長さんの部屋には日本の外務省が配る生け花のカレンダーが飾られていたことを思い出す。


そうして、わたしたちはキンシャサのゴンベ地区の郵便局内に私書箱を持つようになった。
私書箱設置では、最初に鍵代金や設置料を取られ、3ヵ月毎の使用料支払いということだった。
最初の設置時には使用料を多く請求され2倍くらい払わされた、とは夫の話だ。
でも2回目の使用料支払いでは、半分の3ヶ月16米ドルになったのだと言う。
1ヶ月で500円ちょっとだ。


扉が無かったり壊れたりするところもある私書箱コーナー


私書箱コーナーには、当初鉄格子が無く、外部から侵入することは簡単で、よく私書箱前の通路に人がごろりと横たわっていたりした。涼しくて風通りも良く、昼寝には格好の場所だった。

2012年にキンシャサで初の仏語圏会議は開催され、他国からの来賓もあるというので、ゴンベ郵便局にも手が入り、ペンキが塗り替えられ鉄格子が付き、外部からの侵入ができなくなった。
さらには、ゴンベ郵便局前の片側2車線の道路の間に横たわる草むら空き地がグリーンベルトに整備され、庶民の憩いの公園になった。
(今では、キンシャサの恋人たちのデートスポットだし、結婚写真の撮影スポットになっている。)
また、郵便局沿いに歩道も確保されて、郵便局界隈は見違えるようにきれいになっていった。



我が家の史書縛3118号

ある日、我が家の私書箱に、宛名は日本人だけど明らかに他人の郵便物到着通知書が入っていた。
通知書は我が家のものではないと局員に言うと、郵便物保管の部屋に通され小包を提示された。驚いたことにキンシャサの通り名と番地が書かれたキンシャサの住所と日本の建設会社名と個人名が記入されていた。
途上国で、私書箱を通さずに郵便物を受け取れる国をわたしは知らないので、本当に驚いた。
事情を聞くと、日本からの郵便物なのだから、3118号の日本人の私書箱に通知を入れておけば、同じ日本人同士ということで郵便物の当人に知らせが行くだろうという算段だったらしい。
関税という名目で現金徴収につながると考えたのは明らかだった。
運よく,夫のプロジェクトに関わる方の郵便物だったから、すぐ連絡は付いた。
その後、わたしは郵便物(建設の専門書だった)の価格を尋ねられたりして(日本円表示だった。)、結構な額の関税を取られた。
その税金が政府に回って国の運営資金になるのだったら喜ばしいことだが、そこは??

さらにまたある日、本当にコンゴ国内から郵便物を出せないのかと思い、局員に訊いてみたことがあった。
案の定、郵送機能は動いていなくて、切手すらなかった。
ただ、ザイール時代に使用されていたという鷲の図柄のたった一種類の切手があった。
その切手の価格の部分がシルバーのインクで訂正されていて、ザイールフランの表示がコンゴフラン表示になっていたが、現在、使用できないということだった。

キンシャサの会社組織やプロジェクトから書類を送るときは、DHLなどのプライベート会社の郵送手段を利用しているようだ。(各国大使館は独自の郵送システムを持っているようだ。)

最近、キンシャサ本局から郵便小包EMSを海外に送れるという話を小耳に挟んだ。
キンシャサ本局から日本に荷物を送ったら2週間で届いたというのだった。
何ヶ月か前にキンシャサ本局前を、EMSと書いた軽トラックが通るのを見たことがある。
少しずつ,少しずつ、本当に少しずつでもコンゴの国が改善されていくのはうれしいことだ。


ともあれ、わたしたちがキンシャサのゴンベ地区郵便局に私書箱を持って2年半近く、たくさんの手紙を受け取ることができた。
私書箱を鍵で開けて、手紙を発見したときのうれしさは格別だった。
郵便小包も届いた。
北九州の八幡でひとり暮らしする90歳の父は、海外暮らしで手紙を受け取る喜びはひとしおだろうと言って、こまめに手紙を送ってくれた。
季節のこと、新聞記事のことなど、たあいの無いものだったが、2年半の間に受け取った父からの手紙は36通だった。
ありがとう、お父さん!
ありがとう、友人たち!
ありがとう、ゴンベ郵便局私書箱3118号!

2014年7月23日水曜日

2014年度第4回キンシャサ日本大使杯ゴルフコンペ優勝!!!

第4回キンシャサ日本大使杯ゴルフコンペ優勝カップ

さかのぼること、2011年9月。
前々任大使の離任ゴルフコンペとして開催されたのが初回日本大使杯ゴルフコンペだったと聞く。
前々任大使は夫妻でゴルフを楽しまれていたそうだ。
そして前大使が赴任されたのが2011年10月。
前大使もゴルフの上手なかただった。
そのまま、日本大使杯コンペは毎月開催で引き継がれた。

わたしたちが2012年1月1日にキンシャサに到着して、夫は早々の2012年1月30日開催の第5回コンペに初参加している。
わたしは、翌月2月開催の第6回コンペに初参加。
もう心臓バクンバクンの緊張しまくりの初参加で、結果はスコア146。
多分、ブービーメーカー。ビリだったと思う。
女性は他に、在コンゴ民・日本大使館現地職員のゲルダさんがいた。
かのじょは若くてドラコン賞常連の上級ゴルファーだった。
初参加では、ゲルダさんと参事官の3人で回り、どれだけ気遣いいただいたことか。

プレイ後の、成績発表を兼ねた食事会がまた楽しみだった。
ゲルダさんや、大使、参事官、JICA所長、無償プロジェクトで滞在中の企業の方々の和気あいあいとした雰囲気が心地よくて、以来、毎月のキンシャサ生活の”要”だったと思う。
(その後、ゲルダさんは小さいお嬢さんの育児のため、午後開催になった大使杯コンペに参加できなくなった。)

次の第7回コンペ(2012年2月)でも、わたしのスコアは139で、大した進歩なし。
キンシャサの街中は徒歩禁止だったから、緑豊かなゴルフ場は格好の散歩コースだった。
最初は、そんなすばらしい自然の中でのゴルフコースを歩くだけで満足,幸せだった。

その年の5月に、キンシャサ・オープンゴルフが開催され、前夜祭に参加したことで,来年はわたしもオープンゴルフに参加したい!、という意欲が出た。
それからかな、少しずつゴルフを楽しみ始めたのは。

とはいえ、初参加1年後の2013年の2月のコンペのスコアは、144。
それでも、韓国人の友人ソリムさんはゴルフプレイを誘ってくれて、クラブコンペに参加することを勧めてくれ、いろんな人たちとのプレイを楽しみ始めた。

2013年5月には夫婦でオープンゴルフに初参加。
何も分からないままに3日間プレイし、朝から夜までお祭り気分を満喫した。

それから、スコアは130台になり,時々120台を出すようになった。
8月に、韓国に帰るという友人夫婦と最後のプレイをしたときはなんと114を出した。
でも、その後、スランプ状態で伸び悩む。
紆余曲折の後、レッスンプロ(キンシャサ・ゴルフクラブには3人のレッスンプロがいる。)のカップンバさんに行き着く。
カップンバさんは、南東部の銅山都市ルブンバシ出身で、わたしが幼い頃は日本人が町にたくさんいました、と懐かしそうに話し、あいさつのときはボンジュールと言ってお辞儀をするのだった。
カップンバさんは、上手な英語も話す。
キンシャサの3人のレッスンプロのうちで唯一のスポンサーの付くゴルファーだそうだ。
レッスンのとき、わたしが疑問に思うことを尋ねると、まずいつも通りに打ってごらんと言ってフォームをチェックする。その後、理論を持って説明してくれ、だからあなたの場合はここに気をつけてプレイしてみなさい、と的確なアドバイスをくれるのだ。
納得のいく説明だから,すとんと腑に落ちて実践できる気がした。

日本大使杯コンペに参加して2年目の2014年2月のスコアは127。
そして、新しくゴルフ仲間になったミョンスさんという韓国人マダムと毎週ゴルフを楽しむようになり、かのじょのゴルフに対する姿勢に鼓舞されたように思う。
スコアの数え方も、「各ホール、7平均で回る」という数え方から、「各ホール、ダブルボギーで回る」という考え方に変えた。

スコアのカウントの数え方を変えただけで、先月から110台が出るようになる。
7月13日の日本人のポワルー道路完成記念コンペでは、109という新記録を出す。
初めて110を切ったのだ。

そして、翌週の21日。
私たち夫婦にとっては最後のキンシャサ日本大使杯コンペだった。
朝から緊張していたが、1995年7月、中央アフリカ共和国・バンギでの最後の月例・鹿島杯コンペでどうしても優勝したくて、がんばって優勝したときのことを思い出していた。
あのときも、緊張しまくったが、自分を信じて淡々と集中してプレイしたら想いが叶ったではないか。

夫に緊張するから握手してと頼んだ。
こっそり握手してもらってパワーをもらって、さあ出発だ。

仲間2人も優勝を狙う若者とムッシュ。
淡々とプレイをする姿にわたしも集中して心地よく楽しむことができた。
なにより、キンシャサ最後の大使杯コンペで自己記録を更新することだけを考えた。
緊張して硬くなって、納得のいかないプレイをすることはやめようと思った。
日本に戻ってずっとずっと後になって、最後のコンペでのプレイを後悔することはしたくないと思った。
その日は乾季のキンシャサとしては日差しのあるちょっと蒸し暑い日だった。
それでも、緑の中を吹き抜ける風は本当に気持ちよく、これから先の人生で、この日の、この瞬間の、この幸せ感溢れてプレイするわが身のことを懐かしく思い出すのだろうなあ、と思ったりして、独りで感動するのだった。


キンシャサ・ゴルフクラブ9番ホール左のパームヤシ林


順調だったわけではない、大ピンチのときもあった。
それでも自分に言い聞かせたこと。
1コース、1コースを丁寧に集中してプレイすること。
コースを終えたら、忘れて次のコースに集中すること。
ひとつ、ひとつ、乗り越えていこう。

18ホールを終えたときの達成感は心地よいものだった。

そして、スコアを計算してみると,108。
自己記録を更新!!

やったー!!

楽しい2年半のキンシャサでのゴルフの締めくくりとして、最高の結果をいただけたことを誇りに思い、またゴルフを通して楽しい交流をいただいたたくさんの友人たちに心からお礼を言いたい。

ゴルフ仲間の皆さん!
キンシャサを離れていった友人も!
そして、キンシャサゴルフコースにも!

この2年半、楽しいゴルフをありがとうございました!!!!!!!!!!


キンシャサ・ゴルフクラブ14番ホール池から13番ホールを望む



キンシャサ・ゴルフクラブ最終ホール右向こうを望む





2014年7月20日日曜日

近所のカフェへモーニング!

この前の土曜日、近所のパン屋&カフェ、エリック・カイザーへ、朝7時開店めがけて夫と歩いて出かけた。


朝7時 自宅前Avenue de la paix を歩いてカフェに向かう
朝7時 エリック・カイザー前 (向こうの建設中の建物は完成時期不明のヒルトンホテル)

ひんやり肌寒いくらいの朝の空気に浄化されたような、清清しいキンシャサの都会の通り。
通る人はまばら、車もほとんど見かけない。
一日の活動が始まる前の、半分寝ぼけ眼のようなひっそりしたキンシャサの顔を初めて見た。
そんな朝の空気の中をのんびり、ゆっくり歩いて、エリック・カイザーに到着する。


朝7時、開店直後の店内パンの棚 香ばしい香りが漂う

朝7時ちょっと過ぎ、カフェ店内はすっかり開店準備を終え、客の到着を待ち構えている。
パンの棚にもフランスパンやクロワッサン、菓子パンが並び始めている。
パンの香ばしい香りに食欲をそそられる。
店内は、パンを買う客が2,3人いるくらいだ。

わたしたちは、その日初めてのカフェの客となり、ウェイトレスににこやかに迎えられて通り側のテーブルに着席。

モーニングセットのメニュー


ウェイトレスによると、毎朝5時からパン職人はパンを焼き始め、ウェイトレスたちは6時から店内の準備を始めるのだそうだ。

わたしたちは、これからのゴルフプレイを考えて、あまり重いモーニングセットは避けようと、夫はL'ORIENTALを、わたしはL'EQUILIBREを注文。
本当は、わたしはパンとジュースとカフェオーレのセットが欲しかったのだから、LE PARISIENを注文すべきだったのに、と大後悔する。
というのも、L'EQUILIBREとは、”バランス、平衡”とかいう意味で、ダイエットメニューだったのだ。
テーブルに並んだのは、コーヒー、ヨーグルト、ハチミツ、シリアル、そしてフルーツサラダ。
エリックカイザーの美味しい焼き立てのクロワッサンを食べたかった!
ということで、わたしはウェイトレスにパンを追加注文する。

夫の注文したL'ORIENTALは、中東のベジタリアン向けのようなメニューだった。

モーニングセットの並ぶテーブル イメージした内容と違っていて戸惑う著者?!

ともあれ、キンシャサで迎える朝とは思えないような雰囲気のカフェで、オシャレに朝食が取れて満足!!
次回は、メニューの最後に並んだ、きっとカフェ推奨のLE KAYSERを注文するぞ、と心に誓うが、時間切れかな。


窓際のテーブルから、テラス席とキンシャサ大都会風景を望む

窓際テーブルから、テラス席と正面通りを望む

朝7時のエリック・カイザーでの朝食。
キンシャサ大都会が持つ違った顔も見られて、そんな空間をゆっくり歩いて堪能する。

一石三鳥の土曜の朝の時間。
ここ、キンシャサの商業地区中心地での生活を楽しみ始めている。

2014年7月15日火曜日

自転車競技 Tour de France と、 Tour de Congo

昨夏,7月初旬に娘たちの宗教的結婚式(教会での結婚式)のために、娘の夫の故郷、サンジャン・ド・モリエンヌを訪れたとき、フランスの自転車競技である、”Tour de France”が開催中で、そのサンジャン・ド・モリエンヌの街を通過するということで町中が静かに盛り上がっていたことを思い出す。

”Tour de France”.。
今夏は、7月5日(土)から7月27日(日)までの開催で、101回目なのだそうだ。
1903年、フランス人の自転車選手兼ジャーナリストのアンリ・デ・グランジュが創設した、フランスを舞台にした国際的規模のロードレース。
2度の世界大戦時以外は毎夏開催される、フランスの夏の国民的行事となっている。
ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャと共に世界三大ロードレース(グランツール)といわれる。
コースは周辺国のベルギー、イタリア、ドイツ、スペインも含む約3600km。
それを約20のステージに分け、1チーム9選手で3週間ほどをかけて走るのだとか。平坦な舗装道路から山岳地帯の急勾配の傾斜面のコースもあり、テレビを見ていると怪我で棄権する選手も出て過酷なレースだ。
通算成績を毎日集計し,全ステージの総合タイム首位の選手が優勝。
勝者には名誉の”マイヨ・ド・ジョンヌ”と呼ばれる黄色のシャツが贈られる。

わたしたちが5月に南アのヨハネスブルグから喜望峰に飛んだとき、”Tour de Cape”という自転車競技があることを知った。
アップダウンの続く断崖絶壁の、強い海風に当たりながらの海岸線のコースはかなり厳しいレースだろう。それでも、海外からの(日本人も!)参加もあって盛況だそうだ。


そして。
ここ、コンゴにもなんと、”Tour de Congo”なるものがあった!

”Tour de la Congo”のマーク


今年で2回目の開催。
6月18日から25日まで、コンゴ民主共和国内の703kmの距離、7つのステージを走り抜く自転車競技だった。

Tour de la Congoスタート (FecocyのH.P.より)

まず、コンゴ南東部のコルウェジ→リカシ→ルブンバシ(カタンガ州)へ。
第1ステージのコルウェジ、リカシ間は、シマウマ、鹿などの動物が見られるようだ。
第2ステージでは鉄橋を渡っていた。

そして、第3、第4ステージ。
西部→キンペセ(バコンゴ州)→キンシャサへ。
キンシャサでは、スポンサーなのだろう、選手たちは”Hotel KWILU”というホテルに泊まっていた。
”KWILU”といえば、わたしたちの贔屓のコンゴ産さとうきび焼酎のメーカーだ。
そのKWILU直営ホテルなのだろうか。
確かに、KWILUは直営のバーも持っているし。
なかなか感じの良いホテルだったが、キンシャサのどこにあるのか。

話を元に戻して、最後の第5、第6、第7ステージ。
東部→ケンゲ(バンドゥンドゥン州)→セレ→キンシャサへ。
第7ステージでセレからキンシャサ入りし、トリアンフ通りのサッカースタジアムがゴールだったようだ。
トリンフ通りのサッカースタジアム前のTour de la R.D.Congoゴール(fecocyのH.P.より)

北部の赤道州や、停戦になったばかりの東部の南・北キヴ州はルートに入っていなかった。

わたしは、このツール・ド・コンゴの自転車競技をフランスからの衛星放送、”TV5”の特集番組で知った。
思えば、ここ1,2年でキンシャサ市内を競技用自転車で疾走する選手たちをよく見かけるようになった。しっかりしたスポンサーが付かなければ、自転車も競技用スーツも入手できないはずだ、と思っていた。

テレビ番組で観る限り、競技ルートは舗装道路(国道1号線がメインルートだった?)を走っていたし、動物保護の自然公園、そして、キンシャサ郊外にあるボノボ保護園辺りも通り、コンゴ観光PRも兼ねたようなルートだったように思う。
それでも、過酷なコースだったのは間違いなく、タイヤが外れる事故が起こったりしていたし、もちろんバイクや自動車の伴走が続いていた。
Total(石油),Scole(飲料),RawBank(銀行),Bank Africa(銀行),AVIA(レンタカー)など多くのスポンサーも付いて、沿道の人々の声援を背にツール・ド・フランスと比べて見劣りしない盛り上がりだったように感じる。
参加国も、コンゴのチームはもちろん、フランス,ベルギー、アフリカからは、コート・ジボワール、ルワンダ、ブルキナ・ファソ、タンザニア、ガボン、マダガスカル、そして嬉しいことに、中央アフリカ共和国からの参加チームを見つけた。

この自転車競技大会の正式名称は、
”Tour Cycliste International de la R.D.Congo”

主催は、
La Federation Congolaise de Cyclisme (Fecocy)

この国、コンゴ民主共和国に平和が続く限り、(少しずつかもしれないが)発展を続けると確信する。
平和が続いて、この ”Tour  de la R.D..Congo”の自転車競技も続いて発展し、立派な国際競技大会に育つことを祈り続けたい。



ポワルー四車線完成記念コンペ

昨夜は、ワールドカップ・サッカーでドイツが優勝して沸きに沸いてワールドカップ・サッカーが閉幕した。
キンシャサのいくつかのホテルでも、大型スクリーン観戦と飲み物,軽食付き入場チケットが販売されたりして(どこかのホテルのチケット料は50米ドルだったとも聞く。)、ドイツ対アルゼンチンの試合に盛り上がったようだ。
ドイツ大使館での決勝戦観戦ではきっと大興奮の渦だったのだろう。
というのも、準々決勝くらいからか、ドイツの試合があるたびに、ドイツ応援観戦のためにドイツ大使館の庭に大型スクリーンを置いて開放していたのだそうだ。
観戦のための来訪者が多すぎてスクリーンが見えずに自宅に戻ったという友人の話も聞いた。

ヨーロッパの人たちはワールドカップのサッカーの試合に本当に熱くなる。
ドイツの今回の優勝が24年ぶり,4回目というのだから、歴史の深さがうかがい知れる。

今回のベルギーのチームでコンゴ出身のルカク選手が活躍していて、キンシャサの大型スクリーンを設置するレストランやカフェでは、かれを応援するためにやはり盛り上がっていたらしい。


優勝ということで、今日はこんな話題を・・・。


ポワルー道路四車線完成! photo by Sho.Inoue


夫がコンサルタント業務として携わってきたプロジェクト、ポワルー道路四車線拡幅改修工事が無事、完成した。

わたしがキンシャサに来て2年半、工事が進むにつれ、キンシャサ在住の人々から道路の素晴らしさ、工程の素晴らしさを褒められ、わたしは日本人としてどれだけ鼻高々だったことだろう。
本当にすばらしい四車線舗装道路が完成した。
それと連動するかのように、ポワルー道路入り口の中央駅前広場もきれいに生まれ変わったし、近々,広場横に新しいホテルも開館するようだ。


そのポワルー道路の完成を記念したゴルフコンペが日本人ゴルフ仲間で行われた。
道路施工会社の北野建設の主催の、仲間内のお祝いコンペだった。

朝の(寒いくらいに)ひんやりした日本の夏の高原を思わせる緑多いキンシャサ・ゴルフ場で、8時半にスタート。
4グループに分かれて、わたしは3番目のスタートだった。

わたしは、それぞれのコースのパーより2打多い”ダブルボギー”でプレイすることを目標にし、スコア110を切りたいという思いも胸に秘めてのスタートだった。
連続の池ポチャもあって、試練に立たされる場面もあったが、歯を食いしばって(ホントに!)乗り越えた。
集中してプレイを続けられ、また楽しみながら回れて、終わってみるとわたしのスコアは109!
目標達成できた自分に祝福した!
もうそれだけで十分だった。

成績発表で、同スコアのかたがもうひとりいた。
さらに、ハンディキャップの少ないかたで、ネットで同スコアになったかたもいた。
でも、なぜだか、わたしが優勝してしまった。

きっと、日本人女性の(色あせても)紅一点で頑張ってきたマダムに花を持たせてくれたのだな。なんと幸せなことだろう。
ゴルフ仲間の皆さん、どうもありがとうございました!

ゴルフ場のパイヨットで表彰式が行われたとき、わたしがレッスンを受けるコンゴ人レッスンプロのカップンバさんを見かけたので、109のベストスコアを出したことを報告した。
わたしがゴルフで分からなくなって質問をするたびに、しっかりと理論を持って分かりやすく説明してくれて練習を付けてくれる、いつも紳士的なゴルファーのカップンバさん。
かれも満面の笑みを浮かべてとても喜んでくれた。


・・・ということで、思いもかけずに、日本人のゴルフコンペで優勝してしまった、という話でした。
キンシャサでの良い思い出がまたひとつ持てました。
再度、ゴルフ仲間の皆さんに。
心から、どうもありがとうございました。