2013年3月17日日曜日

映画『魔女と呼ばれた少女』 のこと

コンゴ民主共和国は広い。

国の西部にある首都キンシャサはアフリカ第三の大都会だ。
なのに人々はとても貧しいし、外国人にとっても治安良好な都市だとは言えない。
それでも、とても平和だ。
子どもたちは学校へ通い、学生街を通るとおしゃれした学生たちが楽しげにお喋りしながら通り過ぎて行く。

でも、この国の東部は、気候も穏やかで農作物も豊富だし、また天然資源に恵まれ、本来ならばその恩恵を受けて豊かな地域であるはずなのに、資源採掘権争い、先進諸国の国益などが絡み合い、紛争状態が続く地域だ。
その紛争に少年兵が仕立てられ闘いの渦中に投げ込まれているという地域だ。


こんな話を耳にした。
この国の最高学府と言われる、国立キンシャサ大学がある。
わたしは訪ねたことはないのだが、キンシャサ大学の立地場所が信じられないほど辺ぴなのだそうだ。
キンシャサ郊外の山の上にあり、大学正門に続く道路は片道1車線でしかもとても狭い道幅だと言うのだ。

なぜ、最高学府がそんな場所に建っているのか。

それは、政府に反乱を起こす時先頭に立つのがキンシャサ大学の学生たちだから、かれら反乱学生たちがキンシャサ中心部に到達する時間を稼ぐためだ、と言うのだ。

実際、昨年11月に東部ゴマが反政府軍に占拠されたときもかれらは真っ先にデモを起こしたのだそうだ。
愛国心に燃える若者たちの行動を、政府は警戒しているのだ。
かれらのデモ活動や反乱行為がすぐキンシャサ中心部に波及しないために、敢えて大学立地を辺ぴな山の上にしたのだ、というのだ。
なるほど、と納得する説明だった。



さて、コンゴ民主共和国東部の紛争地域を舞台に少年兵を描いたカナダの映画が日本でもとうとう封切られた。

「魔女と呼ばれた少女」という映画だ。


映画「魔女と呼ばれた少女」より

映画『魔女と呼ばれた少女』 - シネマトゥデイ


多くの日本人がこの映画を観て、コンゴ民主共和国の東部地域の実情に目を向けてくれたらと願う。

教会付属のクリニック

庶民の居住地区に建つプロテスタント教会

3月15日に、IWC(国際女性クラブ)が準備した寄贈品を持って、クラブ会員たちと共に、空港近くの貧民地区にあるプロテスタント教会を訪れた。

わたしたちを出迎えてくれたのは、韓国人の四十歳代後半くらいのソフトな印象の牧師さんだった。


このプロテスタント教会の敷地内に、一棟の古ぼけたクリニックが開設されている。
クリニックでは、産婦人科中心の診療を4人のコンゴ人医師と4人のコンゴ人看護士、そして1人の検査技師が勤務して運営されているそうだ。

クリニックは、キンシャサ中心街からずいぶんと空港寄りに進んだ幹線道路沿いの密集地区を左折し、さらに車で数分ほど入り込んだ、マッシーナという貧民地区に建っている。

空港近くに位置するクリニックでは、時おり飛行機発着の騒音に包まれるが、治療を受けるために待つ人々はとても穏やかな顔をしていた。



教会付属のクリニック Centre Medical MEAC



クリニックの受け付けのところに掲示された診療時間を見ると、日曜日も診療が行われ、朝、昼、夕方の3つの時間帯に分かれて日曜日のみ19時まで、それ以外は19時半まで開かれているのがわかる。
受付のところに掲示された診療時間


クリニック内の施設は古いけれど、しっかりと整えられていると感じた。

検査室のテーブル

診察室の医師たち



また、クリニックに入ったところに産科の分娩費用の案内が張られていた。

分娩費用の案内掲示

出産の費用は普通分娩(normal)で15,000FC(千五百円弱)、難産の場合20,000FC(二千円弱)と表示されている。
日本人の感覚では信じられない低料金だろうが、コンゴの国の貧民地区の女性にはこの料金でも大金なのだと思う。


この日、クリニックには4日前に出産したばかりの女性と女の赤ちゃんが入院していた。
初めての赤ちゃんだと言い、本当に愛おしそうに抱きかかえ、幸せそうな穏やかな表情の母親だった。

出産5日目の母子


また、クリニックの外には2人の妊婦が診察を待っていた。

2ヵ月後に出産予定の15歳の女性(左)と6ヵ月後に出産予定の24歳の女性

出産で命を落とすことがまだまだ多いこの国で、このクリニックでは受診代や出産費用を他の病院より安く設定して通院し易くし、女性の出産リスクを下げることに貢献しているのだと感じた。
実際、妊婦検診は1回500FC(五十円弱)なのだそうだ。
この日の彼女たちの検診は無料だということだった。

牧師さんが言われた。
妊婦たちは、お金がない、夫がない、知識がない。いろいろな問題を抱えて出産するのだと。

ここは、彼女たちにとって人生航路の”灯台”なのだろうなあ。



生後5日目の赤ちゃんは、この日IWCから贈られた体重計で計測すると、3600g弱だった。
母親はわが子の体重を知ると、とても満足そうにしていた。


IWC寄贈の新生児用体重計


ある病室内では、1人の老婦人が点滴を受けていた。
ここは朝来て入院し、夕方になると自宅に戻るという形式の入院なのだそうだ。

クリニック内の受付そばの長椅子には、骨折した青年のほかは、老婦人が数名、そしてクリニック外の長椅子に妊婦2人と、子どもや女性たちが診察を待っていた。

ふとクリニックの庭に目を移すと、出産5日目の母親が洗濯して干している。手厚く看護される日本の妊婦さんとは大違いだ。


わたしたちは、ひと通りクリニック内を案内されたあと、寄贈品を車から出して、ベッドなどの組み立てに入った。

寄贈のベッドを組み立てるIWC会員たち
病室内に運び込まれた寄贈ベッド


簡素だが新しい7台のベッドが運び込まれた。

また、分娩室にも新しい分娩台が入った。


新しい分娩台を組み立て中
看護士だったIWC会員が分娩台の取扱説明をする



クリニックの庭には、今まで使われていた分娩台、ベッドが運び出されていた。
今までのお役目、ご苦労様。


庭に運び出された古い機具




クリニックの外の長椅子におよそ病人らしくないはつらつとした女性の一団がいた。
彼女たちは教会員で、IWCメンバーが寄贈品を持って訪問すると聞いて、賛美歌を歌って返礼するために集まったのだということだった。
アフリカの女性たちのはじけるようなダイナミックな歌声に耳を傾けていると、彼女たちの真心がずんずん伝わってくるようだった。

笑顔はじける合唱隊マダムたち



IWC団体がどのようないきさつからこのプロテスタント教会に寄付することを決定したのか、また寄贈品目の選定がどのように行われたのかは役員ではないわたしには分からない。

でも、クリスマスバザーの収益金がこのような形で役立てられることをうれしいと思うし、IWCのメンバーであることを誇りに思った。

このクリニックが、空港に近い密集した貧民地区の人々の心のよりどころとして、良い診療活動を続けられますように、と心から祈って帰途に着いた。

2013年3月13日水曜日

日本文化センターの開館式

日本文化センター会館正面入り口

キンシャサのISP(Institut Superieur Pedagogique、コンゴ教員大学)敷地内に建設中だった日本文化センターが完成し、昨日(3月12日)、その開館式が行われた。

ISPは慶応義塾大学と提携しているそうで、長期滞在の慶応大学生が校内の一室で日本語習得の教室を設けて1年半前から活動していた。

慶応大学湘南藤沢校の先生と学生達が、かれらの日本語教室の拠点とするべく、また日本文化をキンシャサで発信する場所として、昨年春から在キンシャサ日本大使館の草の根無償援助資金をもらって設計、施工し完成させた建物だ。


日本文化センター建設用地(昨年の風景)

一年近く前は、こんな草地で、ここにどんな建物が完成するのだろうと楽しみに待ち続けていた。



建物は4つのパートで成り立ち、その一室が日本語教室として使われ、一室は武道伝授の場として使用されると聞いている。

実際、開館式では、キンシャサJICA事務所長と日本大使館員の二人が剣道の模擬試合を行い、来館者たちから喝采を浴びていた。
おそらく、コンゴの人々には初めて見る剣道だっただろう。

日本文化センター開館式での剣道模擬試合


最後に、日本語習得者の認定書授与が行われた。
この1年半でこんなにも日本語が上達するのか、と驚くほどの語学力を持つ学生もいて、成績優秀者3人は昨年、日本に招待され、3ヶ月間の日本滞在を経験している。
今度はかれらが日本語の教師として指導者側に回るのだろう。
一人は、法律を学ぶ学生で、日本への留学を目指して勉強を続けると話してくれた。


約2年のキンシャサ滞在を終えた日本人学生の別れの挨拶

上の写真の左3人が、昨年、日本滞在を経験したコンゴの学生たちだ。

そして上の写真中で挨拶をしている日本の若者が、日本語教授プロジェクトの創設当初からキンシャサに滞在し、推進役を務めた慶応の学生、伸吾くんだ。

かれは、この1年半の間にコンゴ人も驚くリンガラ語能力を習得し、昨年9月には、キサンガニ~キンシャサ間1700キロのコンゴ河の旅を慶応OBの作家と共に1ヶ月かけて成し遂げた素晴らしい経験をしている。
そして、かれは今春、アフリカ文化を究めるために京都大学大学院に進学するべく、今日、キンシャサを発っていった。


慶応大学日本語教授プロジェクトは、かれらの活動拠点となる”城”を構え、新たに2人の学生が活動を支えるためにキンシャサ滞在を始めている。

慶応のプロジェクトのもう一つの大きな柱である、アカデックス小学校建設と教育実践という活動も展開している。そこにも、教育学を専攻する大学院生が一人長期滞在で入ってきた。



このプロジェクトの指導者のひとり、長谷部葉子先生の著書に、こんな言葉を見つけた。

「コンゴは、世界トップクラスの鉱産資源国で、銅やコバルト、ダイヤモンドなどが大量に出る国です。日本はそれがないけれど、資源を最大限に活かす技術をもっています。二つの国は豊かさの質が違っていて、しかも、ちょうどお互いにあるものとないものが上手く噛み合っています。
ここには、双方が手を取り合って、ともに未来を歩める可能性が大いに眠っています。
だとすれば、コンゴを支援するということは、一緒に働く仲間を育て合っているということなのです。」
(”今、ここを真剣に生きていますか?”(講談社)より抜粋。)


この国の現実を見れば、中国の天然資源採掘権をねらっての進出は脅威を感じるし、その天然資源をめぐってコンゴ東部では紛争状態でもあり、列強各国の国益と相まって難しい様相を呈していて、先生の言葉のようにはなかなかいかないようにも思える。

でも、と考えてみる。

お互いの国を支える次の世代に、このような未来を目指す連帯感が育つ土壌が今、出来上がろうとしてるのかもしれない、と。
かれらが今、一生懸命取り組んでいる活動は、新しい”芽”を共通の土壌から噴き出させようとしてるように思えた。
真に支えあい、補い合って生きてゆく地球の仲間としての出発点を見ているようだった。

わたしは、その”時”に立ち合っているのだなあと感じた。
かれらの活動をそっと見守って、陰ながら応援していきたい、と思えるホットな開館式だった。

”ぽん”をかさねて ~ L’éléphant vert: ラン パン パン

わたしが毎朝、ヨウムのぽんの鳥かご掃除とご飯やりのときに歌う(?)景気付けの歌が、♪ ラン パン パン ♪ だ。
そのおおもととなっている絵本が「ラン パン パン」。

その絵本を絵本屋ブログで紹介したので、よろしかったら覗いてみてください。
そして、図書館か書店でこの絵本を手に取って、クロドリのくるみのかぶとに、くるみの太鼓の完全武装姿のページを探してみてください。
笑えますよ~。


L’éléphant vert: ラン パン パン: 絵本”ラン パン パン”の表紙 先日、我が家のヨウム(コンゴのオウム)、”ぽん”が逃避行を果たした。 我が家に来た時にはすでに羽の一部を切られて飛べなくなったと聞いていたのに、三階の我が家のベランダの鳥かごから逃げ出し、庭へ飛行滑降したのだ。 門番の通報(!)で、残...

2013年3月8日金曜日

ぽんの逃避行

今朝、夫が7時半に仕事に出た後、しばらくして背の高い門番のガードマンが我が家にやって来て言った。

マダムのとこのヨウムが庭に逃げ込んでいます、と。

え????
まさか!!!

ベランダの鳥かごはもぬけの殻・・・・・。
ヤラレター!!

びっくりすることに、”ぽん”は鳥かごの後ろ部分の扉(下の写真。ぽんの背後に見える籠の背面全面が開閉できるようになっている。)の錠を引き抜いて開けて、かごから逃げ出していたのだ。

わたしが鳥かごの床の新聞紙を敷き替えるときに、正面の扉(これは重い鉄扉で引き上げ式になっているからまず開閉不可能だ。)からだと狭くて手を突っ込みにくいので、2,3度だけ、後ろ部分の全面開閉する扉の錠を引いて、開けたことがあった。
そのときに、”ぽん”はしっかり学習していたのだ、扉を開けるための錠の抜き方を。

※ ”ぽん”とは・・・・昨年12月19日に我が家にやってきたコンゴのオウム、”ヨウム”をぽんちゃんと名付けて、我が子のように思って飼っている(のはわたしたち側の一方的な思い込みか・・・。)。



逃亡後、なにくわぬ顔の籠の中のぽん!

いかついガードマンのおにいさんに”ぽん”の捕獲をお願いした。
ヨウムを捕まえて入れる容器が必要だというので、いちばん最初に夫がスーパーのペットコーナーで買ってきた青い鳥かごを彼に手渡した。

3階の我が家のベランダから見ていると、”ぽん”はアパート裏庭の低木に止まっていた。
当初、ガードマンにいさんに威嚇して鳴いていたが、そんなに抵抗することもなく青い鳥かごに収まった。

ガードマンにいさんは、棒切れ一本で”ぽん”を棲家の籠に移してくれた。
”ぽん”は、我が家に来た時には、すでに羽の先を切られて、飛べない状態になっていたはずなのに、3階のベランダからアパートの庭に滑降、低木の枝に止まっていたのだった。


”ぽん”は最近良く、籠の天井に2本の脚とくちばしの3点でぶら下がり、羽をバッサバッサと広げる動作をしていた。
暑いから体に風を入れて涼しくしているのか、あるいは、体が痒くて羽をバサバサさせているのか、と思っていた。

かれは、ただただ、飛びたかった、のだろうか。

そして相変わらず、籠の床のベニア板をバリバリと噛み破り、自分の止まり木さえ噛んで細く細くしていって、ついに止まり木がぽとん!、と一方が下に落ちて斜めになっているのに、その斜めになった止まり木の隅っこに平然と止まっている。



そんな”ぽん”の様子を思い出して、こんな狭い籠に入れられるより広い自然の世界に帰すべきなのかもしれない、と考えた。

不憫なぽんめ、としばしわたしは悩んだ。


だがしかし!
逃げてごめんなさい、とは言えないにしても、悪びれもせず、悲しげな表情をするでもなく(・・これも無理な話?)、またいつものように、籠の中でだみ声で「ギャーイ、ギャーイ」と鳴き続ける”ぽん”なのだった。

ね、ぽんちゃん。諦観、してるの?

2013年3月1日金曜日

キンシャサのセロリ

現地産 セロリ !


今日から、3月。
キンシャサは、まだ雨季。
でも、雨の降る回数は減った。
そして、むっと暑い日が続いている。


さて、冒頭の写真の野菜について。

初めて野菜売りのマダムのところで見たとき、わたしはてっきり、”みつば”だと思った。
ちょっと茎は硬そうだけど、きっと”みつば”だろう、と。
しばらく、そう思い込んでいた。

でも、ちょっと匂うこの匂いはなんだったっけ?
思い出せない。
なつかしい匂いだし、わたしが好きだった香りの野菜だ。
この香り、なんだったっけ・・・・。

わたしの頭は、この野菜は”みつば”なのだ、という思い込みで占領されていた。

そして思った。
緑色鮮やかな”みつば”のような香り野菜をからし醤油で”おひたし”にして食べるとおいしいだろうな。


この”みつば”と思い込んでいる野菜を熱湯でさっと茹で2,3cm長さに切り、鶏ささみの酒蒸しを裂いたものを混ぜ、煎った白ゴマを混ぜてみた。

おいしい!

何度か、お客さんを招待したときに食卓に並べた。
みつばのおひたし、です・・たぶん、みつば、です。

すると、ある日、夫が、や、これは”セロリ”だよ、と。

ああー、そうだ、この香り!
みつばじゃない、”セロリ”だった。

よく買いに行く屋台の野菜売りのマダムも、これはローカルのセロリだ、と言っている。
日本で見るセロリに比べて緑が濃く、ひょろっと細く、でも茎はしっかり硬めで、小ぶりだ。
そして強い香りを持つ。

もちろん、キンシャサのシティーマーケットなどで、日本のセロリと同じもの(萎びていることのほうが多いけれど。)も買える。きっと、南アフリカかヨーロッパからの輸入品だろう。


ということで、昨夜もお客さんを招いた夕食の献立にこのローカルセロリに鶏ささみ酒蒸しを和えたおひたしゴマ風味が加わり、好評をいただいた。・・かな。

2013年2月27日水曜日

タヒチからの友人

友人からのプレゼントの生け花


IWC(国際女性クラブ)で出会った友人にタヒチ美人の魅力的な女性がいる。


初対面のときからとってもフレンドリーな女性で、わたしが、フランス語がとても上手ね、と言うと、だってわたしの母国語だもの。

ユーモラスな言い方に彼女の人懐こいキャラクターが覗いた。
タヒチ出身なのよ。

ゴーギャンの絵に出てくる自然美の女性そのものだと思った。(肌の色は日本人と同じだけど。)



彼女のお宅を訪ねると、庭にはいろいろな熱帯の花や植物が植えられていて、自然な手入れに感心する。
シトロネール(レモングラス)や、ハーブたちも青々と育っている。

きっと料理上手でもあるのだろう。
お手製のココナツケーキは逸品だったしなあ。

庭師が庭の植物たちに消毒薬を散布しようとしたので、体を張って阻止したのよ~、と笑う。
体に害のある薬品はまかないから、へびやかえるが庭に来るのよ。
あっけらかん!と言う。


先週、数人の友人を我が家のランチに招待したら、彼女は、上のような長さ数十センチもあるシュロか何かの木の皮でくるりと巻いたフラワーアレンジメントを抱えて持って来てくれた。
わたしの家の庭の植物と花で作ったのよ、と。
何とセンスの良い贈り物だろう!


彼女は、昨年末のIWCクリスマスバザーのときも、大きなクリスマスリースを生花と枝でいくつも作ってバザー品として提供していたことを思い出した。

IWCのランチ会のときには黄色い生花を髪のサイドに挿して現れたり、とてもナチュラルな女性だ。

ヨーロッパの食品ブランドの会社に勤務するご主人と家族で、ニューカレドニアからコンゴに赴任してきたそうだ。

誰かがちょっと皮肉っぽく言った。
天国から地獄に来たようなもんだね、と。

でも、彼女はきっとキンシャサ生活も自然体で入り込んで彼女なりにエンジョイするんだろうな。