2012年12月8日土曜日

キンシャサ国際女性クラブのクリスマスチャリティーバザー

IWC クリスマスバザー案内状

日付をさかのぼって、先週の土曜日、12月1日に、キンシャサの新しいホテル、Hotel Royal で、IWC(国際女性クラブ)のクリスマス・チャリティーバザーとクリスマス・ランチが行われた。

10月半ば過ぎからIWCの定例会で、クリスマスバザー準備のボランティア募集と、ギフトバスケット作成のための献品、手芸などの制作品提供の呼びかけが始まった。

わたしは、初めてのIWCバザーだったので、今回は客側で参加しようと決めた。

会場のHotel Royal は建物がロの字型で建っていて、中庭部分でバザーが、そしてバザー会場に面した部分のレストランでバイキング形式のランチ会が開かれ、子供連れ家族も多く来場し、とても良い雰囲気だった。


それにしても・・・。
クリスマスバザーの項目の中にあった、「ギフトバスケット」とは何だろうとずっと思っていた。

それは、献品として集まった石鹸、入浴剤、シャンプー、タオルなどの浴室用品、茶、コーヒー、ナプキンなどの台所用品をボランティア委員たちがかごに詰め合わせて中身が見えるようにセンス良くセロハン材とリボンでラッピングし、それぞれ中身に応じて10ドル~15ドルくらいの値札を付けて売る、チャリティー精神満タンのバスケットだった。

集まった献品をそのまま売るより、詰め合わせバスケットとして売る・・・とても良いアイディアだ。


写真が趣味の会員は自身が撮影した風景や植物の写真を使ってクリスマスカードを数種類制作して売っている。
さすが、カードのお国柄のセンスが表されたチャリティー品だ。
わたしも10ドル分、3枚を購入する。

会員が作ったクッキー、ケーキもクリスマスらしいラッピングで雰囲気を盛りたてている。

白磁にクリスマスの図柄やアフリカらしい図柄を描いて売っている会員、大きなクリスマスリースを制作して売っているタヒチ出身の会員もいる。彼女のお国ではどんな風にクリスマスを祝うんだろう、などと想像してみる。

スペインのシスターはキンシャサ郊外に建つ病院施設の運営のための製作品を売っている。木のチップ(ビーズ)を糸で編んだ鍋敷きを買ったら、シスターがとても喜んでくれる。

どんなプロジェクトからの出店かわからないが、テーブルセンター、食事マット、テーブルクロスなどに刺繍をしたものを売るブース、アフリカの布地で制作されたネックレスやブレスレットを売るブースも雰囲気を盛り立てている。
花の写真をポートレートにしたもの、キャンバスに描かれた絵たちも売れられている。

わたしはクリスマスプレゼント用にあちこちで買い物をして楽しんだ。

チャリティー募金箱を見かけなかったが、わたしが見過ごしただけだろうか。
案内状には、「サンタさんと一緒の写真撮影 2:30から4:30まで」と書かれていたが、これも見逃した。
きっと、小さい子どもたちの人気スポットだったのだろうな。


ホテル・ロワイアル中庭 バザー会場

ランチ会は準備が間に合わなかったらしく、随分遅れて始まったが、前菜、主菜、デザートと美味しくいただいた。
40ドルというと少々高いかとも思うが、クリスマスチャリティーだからと納得する。
わたしのテーブルには、マダガスカル出身の子連れ二家族、キンシャサのラジオ・フランス勤務だというフランス出身とコモロ島出身の夫婦、そしてインド出身のエリザベスが座った。エリザベスは今年9月から会員になったばかりだというのに、英語力と積極的なフレンドリーシップを発揮して、ボランティア委員としてすばらしい活躍だった。

IWCのクリスマスチャリティーイベントの様子がつかめた。
残念なことに日本人はわたしだけ。夫は土曜日も仕事だった。
来年は、もっと多くの日本人を誘ってみよう。

ランチを終えて歓談していると、わたしのフランス語の先生から肩をたたかれた。
彼女もいくつか買い物をしている。
知人と、どんな買い物をしたか見せ合いっこをして、品定め。

ホテルを出ると、カーッと暑い太陽が照りつける雑踏のキンシャサだった。

2012年12月6日木曜日

コンゴのクリスマスって?

12月に入って、6日目。
雨が一日中降り続く、ということはないが、やっぱり雨の多い雨季のキンシャサだ。

昨日は、衆議院議員選挙の投票に、大使公邸玄関前の投票所へ夫婦で行ってきた。
そして、今夜は夕方6時から日本大使公邸の庭で、天皇誕生日のレセプションが行われる。

そういえば、天皇陛下はクリスマスの1日前の誕生日だった。
日本の子どもたちはこの日あたりから、楽しい冬休みに入るのだったな。
日本では、節電の中でも、あちこちでクリスマスイルミネーションに町が輝いてることだろう。

キンシャサは、というと今のところ街中でクリスマスの飾りはまったく見られない。
コンゴはキリスト教徒がとても多い国。
キンシャサ市内にも、荘厳な赤レンガのノートルダム教会、白いサクレクール教会などのカトリック教会や、大きなプロテスタントの教会、中村寛子シスターのいらしたンガリエマ修道院の教会、など大中小の教会をあちこちで見つけることができる。
これから、どんなクリスマスの飾りで私たちの目を楽しませてくれるだろう。

さて。
わたしは先日、11月の終わりにLimete5番通りにある、カトリックのブティックに行き、イエス降誕の人形たちを買ってきた。
我が家のリビングにも、クリスマスを感じる場所を作りたかった。

アフリカのブラックウッドで作られた降誕人形

上の写真が、ブティックで購入した降誕人形だ。
14,5cmほどの彫刻が施された木の板と、10cmほどのマリア様、ヨセフ様と3人の博士、そして、飼葉桶に眠る赤ちゃんのイエス様だ。
赤ちゃんのイエス様は12月25日に誕生したのだからそれまでは赤ちゃん人形も飾らないのだが、4cmと小さいのでわたしには大事にしまい込みすぎて失くす可能性が大きい、ということでごめんなさい、すでにマリア様、ヨセフ様の傍に置いてしまった。

果たして、キンシャサ市民の家庭にはどんなクリスマス飾りをするのだろう。

先日のIWC(国際女性クラブ)の”Morning Coffee” のときにも、クリスマス、新年休暇で本国に帰ったり旅行に出るという話題で賑わっていた。
キンシャサの雨季が明けるまで戻って来ないという長期帰国の知人もいて、休暇に出る前のランチ招待の誘いが入ったりする時期でもある。
ランチ会は、今週、来週がピークだ。

我が家は夫婦ふたり。
夫のプロジェクトも休暇に関係なく動くようで、どこか旅行に出ることもできないようだ。
娘には生後半年の赤ちゃんがいて、クリスマス、新年は夫の実家のアルプスで過ごすと言うし、東京の息子もキンシャサまで来るつもりもなさそうだし。
少々がっかり、しょんぼり。

ゆっくりと過ごすクリスマスから年末年始になるのだろう。

2012年12月4日火曜日

コンゴの楽器 ~ L’éléphant vert: 外村吉之介 少年民藝館

前回のプリミティブアートの本紹介に続いて、もう一冊のお勧め本のことを、今回は我が家のコンゴの打楽器を織り混ぜて書いてみました。

下の、L'elephant vert のところをクリックしてみてください。

L’éléphant vert: 外村吉之介 少年民藝館:  少年民藝館 表紙  前回、「直感こども美術館 プリミティブアートってなあに?」の写真図鑑絵本(?)を紹介した。 だったら、あの本もぜひとも紹介しなければ!、と強く思ったのが、これ! 外村吉之介さんが愛情深い文章でつづる、「少年民藝館」。 1984年初版...

2012年11月30日金曜日

L’éléphant vert: 直感こども美術館 プリミティブアートってなあに?

アフリカを中心に、世界中のプリミティブアートをきれいな写真入で紹介するこの本を、いつだかの”夏の絵本屋”で扱ったことがある。
題名に、”こども美術館”と付くが、あらゆる層のかたに手にとって欲しい本だ。
キンシャサの我が家に置かれたプリミティブアートたちとともに紹介してみました。


L’éléphant vert: 直感こども美術館 プリミティブアートってなあに?: 西村書店から出版されているこの写真集。 こども、と言わず、老若男女、一家で楽しめる本だと思う。 ”Primitive art” を辞書で引いてみると、”原始美術” と記されているが、とんでもない! まだ、”芸術”という概念がなかったころ、ただかれらの生活の中で使...

2012年11月29日木曜日

平和なキンシャサのパン工場

 今日、東京の知人が、朝日新聞11月24日夕刊の第一面に掲載された記事、

  「 コンゴ 平和どこに ~ 武装組織 M23,東部を制圧 」

をメイルに添付して送ってくれた。
こんなに大きく、ゴマ、サケの街の写真、地図とともに取り上げられたのなら、首都のキンシャサも危ないはず!、と心配いただくのも当然だろう。

こちらで視聴できる”フランス24”という衛星放送テレビのニュースでも、繰り返し、コンゴ東部地域の闘争の様子が映像で流されて伝えられている。

JICAキンシャサ事務所からも逐一、コンゴ東部情報がわたしのメイルに情報をいただいているし、夫も地元の日刊新聞で情報を得ているので、不安はないし、東部の紛争地域から随分離れたキンシャサでは緊迫した空気は感じられない。

東部のゴマ、サケのある地域は、気候も穏やかで豊かな農作物生産地帯であるのに加え、金、ダイヤモンド、レアメタルなどの天然資源が眠る地域で、コンゴ民主共和国にとってとても重要な地域なのだ。
地理的には、コンゴの東端に位置し、ルワンダと国境を接し、ツチ族のジェノサイドのあったときに多くのツチ族がコンゴ東部に流れ込み、そのまま定住しているとも聞く。
今回、ゴマ、サケの街を占領した反政府勢力のM23の背後にはルワンダ政府が付いているとも噂されている。
ルワンダは公用語がフランス語から英語に変わった国。
もともとコンゴとルワンダの闘争に、欧米諸国が首を突っ込んできて、かき回しているように思えてならない。
はて・・・・。

難民が移動し、疫病も蔓延し食糧事情も悪化していると聞く東部地域だが、コンゴ領土の真反対、西端に位置するキンシャサは、M23によるゴマ占領の情報を受け、デモや集会が一部地域で行われたようだが、穏やかな毎日が流れているだけだ。


そんな昨日、IWC(国際女性クラブ)の企画で、キンシャサの地元民地域”シテ”地区にある、”Pain Victoire”の大きなパン工場の見学に行ってきた。


オートメーション化された工場内
ごちゃごちゃしたシテ地域にありながら、工場敷地内はとてもよく整備されていた。
工場入ってすぐのブースは、洗面台が横にずらっと並んでいて、直角に曲がった次の一辺には、日本のデパートなどのトイレでもよく見かける電動乾燥機が据え付けられていた。
そして、いよいよ工場内へ。
わたしたちはフランスパン製造コースを見学するということだった。

巨大な機械が、巨大な空間に配列されていて圧倒される。
イタリアや日本からのパン製造の機械なのだそうだ。
まず通路の左側に数個の背の高い機械が並んでいるのが見えた。
小麦粉貯蔵庫なのだそうだ。それぞれの機械に入れられて小麦粉の重量も機械制御され管理されている。
その貯蔵庫の前に”コンゴ民主共和国産”と書かれた白い小麦粉の袋が山積みされている。

小麦粉貯蔵庫、重量計、混ぜ合わせてこねる機械、第一次発酵、成形、粉まぶし、パンの上のライン引き、第二次発酵、と機械はゆっくり正確にフランスパンを製造してゆく。
大きなウェーブの凹凸のあるテフロン加工の鉄板の上に落とされるフランスパンを重なりがないか工員がチェックして、ウェーブのくぼみに一列に2つずつフランスパンが並ぶ。それらはベルトコンベアーに載って巨大オーブン室へ流れてゆく。

発酵室内とオーブン内は、均等に発酵し焼けるように、パンを載せたテフロン加工の鉄板がゆっくりとぐりぐりと上下左右に動くのが見える。温度と湿度はやはり機械制御で管理されているのだそうだ。

20年前にバンギで見たパン屋のオーブンでは、波打ったトタン板(当時の庶民の家の屋根に使われていたのと同じトタン板だった!)の凹凸を利用して、くぼみ部分にフランスパンを横たわらせて、満タンに載せたトタン板をそのまま庭のオーブンに入れて焼いていた。そんな光景を懐かしく思い出す。
キンシャサのビクトワールパン工場でも、トタン板そっくりの凹凸板にフランスパンを載せて焼いていたが、違うところは、そのトタン板がしっかりした作りの黒いテフロン加工の板になっていた、というところだ。
20年も経ち、ここはコンゴ一の設備と規模を誇るビクトワールパン工場なんですから!

そしてもうひとつ、感心したこと。
それは、ただ一つの原料を除いて、すべてコンゴ国産のものを使用しているということ。
ただ一つの例外は、イースト菌。
これはフランス産のものだった。


こんがり香ばしく焼かれたパンが、トタン板から、下に置かれた大きな青いプラスティックかごに落とされていく。
フランスパンが満載されたかごがどんどん高く積まれていくと、工場の最後尾に並ぶ数字が付いた両扉のドアのところまで運ばれる。そして、もう一つ先のドアが開かれると、そこにトラック、あるいはパン売りのママたちが待ち受けているのだった。

この工場は、レバノン人経営なのだそうだ。
わたしたちに、流暢な英語とフランス語で丁寧に説明してくれたフランス人男性はビクトワールパン工場のディレクターだということだった。
彼の説明によると、この工場は、一日24時間、週7日間、毎日休みなく、一日70万本(わたしの耳には、seven hundred thousandと聞こえた。)のフランスパンが製造されているのだそうだ。ここでは、フランスパンのほかに、小ぶりの山形食パンも製造されていた。
この工場は、コンゴの人々に働く場を確実に提供しているのだ、ということにも大きな感銘を持つ。

このビクトワールパン工場の前を朝6時くらいに通ったことがあるが、工場内にはたくさんのアフリカ女性たちが焼きたてパンを、「Pain Victoire」と茶色の文字が書かれたベージュの大きなプラスティック”たらい”にぎっしり立てて入れられたフランスパンを受け取って、そのたらいを頭に載せて街に散らばっていくのだった。
そんなコンゴのママたちの伝統的な労働力を、パン販売網に組み入れているパン会社のシステムにも共感を覚える。

一時期は、七千人のママたちが毎朝小さな村から工場まで来てパンを受け取り、それぞれの村で売っていたそうだが、トラックが普及して、直接工場まできてパンを持っていくママたちは、現在では二、三千人ということだ。
ビクトワールパンの工場はコンゴ国内ここの一箇所だけ。
あとは、トラックや飛行機(?)でどこかまで輸送され、それ以外は、全部、ママたちの手でコンゴ中にビクトワールパンが届くのだ、と想像してひとり感動していた。
きっと1本五百フランのフランスパンを売って百フランか二百フランの儲けにしかならないのだろう。たらい一杯に50本のフランスパンを入れて、全て売りさばいても五千フランから一万フラン(五百円から千円)にもならないだろう。
現在、慶応大学の英語講師として勤務するコンゴ人のサイモン先生の母親は、毎朝パンを売って子どもたちの学費を稼いで学校にやったという話を思い出す。


さて、工場見学のあと、新しくシテ地区に”Chez Victoire”というパン屋兼カフェを開店したので、そこへ移動して、菓子パンの試食をしましょう、ということになった。
工場から車で7、8分のところに、そのカフェはあった。

シテ地区にあるビクトワールパン直営カフェ一号店


工場もカフェもわたしたちが時々訪れるジギダ野菜市場の近くの、シテ地区、つまり庶民のカルチェにある。
シテ地区のカフェ一号店は新しくモダンな明るい清潔な内装で、多くの地元の若者たちで賑わっていた。平和そのものの光景だった。

フランスパンや小ぶり食パンのほかに、たくさんの種類の菓子パンがガラスケースに並んでいる。
IWCメンバーが、シティーマーケット(外国人が利用するスーパーマーケット)内のパン屋の半分の値段に設定されている、と驚いている。
シティーマーケットでは、フランスパンは1本1000フランだが、ここのシテ地区のChez Victoireのカフェでは、1本500フラン(約50円)だ。ドーナッツが250フラン(約25円)。
どれも見た目もきれいで、とてもおいしい菓子パンだった。
庶民でも買えるように、最高価格のチョコパンでも1500フラン(150円)にしている、と仏人ディレクターは言っていた。
店内の国産のペットボトル入りレモネードが500ml入りで500フラン。
千フランで菓子パン2個と飲み物が買えるのだ。
ちょっとしたお礼のチップとしてコンゴ人に渡す金額として、ビール代やお茶代分の五百フランから千フランという相場は妥当だな、と思う。


”Chez Victoire”シテ地区店内 IWCメンバーと共に
キンシャサ市内のゴンベ地区(外国人居住地域)の6月30日通りに面したクラウンビル1階に、”Patachoux”というケーキとパンのカフェが開店して1ヶ月ほどになるが、近々、同じビルのその隣に、この”Chez Victoire”(おそらくコンゴ2号店)が開店する。
果たして価格設定は?
シテ地区店の倍の設定になるのか。

キンシャサには、こうやってこざっぱりしたカフェが増えている。
先ほど出てきた外国人が利用するシティーマーケットには、ペットショップコーナーもできたと聞く。
ペットショップこそ、なんだか平和の象徴のような気がする。
たしかにそのスーパーマーケットは、外国人と富裕層のコンゴ人しか利用しないが、それでも、キンシャサの治安が安定してきた証拠かなあ、と思っていた矢先のゴマ地域の闘争悪化のニュースだった。

反政府勢力のM23軍は、キサンガニやキンシャサまで進軍する可能性を示唆していたが、今日夕方のJICAからの情報によると、MONUSCO(国連平和維持軍)情報として、M23が今朝から占領地域から撤退を始めている、とのことだ。

我が家の家政婦は、わたしたちキンシャサ市民は、”souffrance”(心身の苦しみ、苦悩)を持っている、という言い方をしていた。すべてはコンゴ政府が決めることだから、と言うのだ。

コンゴ中の人々に、毎日おいしいパンが届く平和な日々が続きますように。

2012年11月24日土曜日

いよいよ 「Iroko」の木について

これまでのわたしのブログの中で、二度ほど「Iroko」の木のことに触れたことがあった。

20年前、中央アフリカ共和国の首都、バンギで、子どもたちの学校の教師ジョスリンさんから、アフリカにはあなたと同じ名前の木があると聞いて以来、ずっと気にかかっていた木だった。

そして数日前、隣人のSドクターが、見つけましたよ、Irokoの木についての情報です、とWikipediaのページを転送してくださった。


http://en.wikipedia.orq/wiki/Iroko


Iirokoの木。
Hirokoの木。わたしの木。
そんな気がする木。
いよいよIrokoの木について書くときが来たように思う・・・。

まず、Irokoの木、ってこんな木、なんだそうだ。


Iroko の木 ~ Wikipediaより


Wikipediaによると・・・

Irokoの木は、大きく堅い木質を持つ。また、熱帯アフリカ西岸からの木だ。
Irokoは、”アフリカンチーク”といわれる木のひとつだが、チーク科とは関係がない。
木の色は、初めのうちは黄色だが、時が経つと濃い茶色になり色が深まってくる。それは、おそらく”Milicia excela”によるものだろう。
学名は、”Chlorophora excela”、”Chlorophora regia”という。
Irokoの木は、発祥地の文化風習の中で、畏れられてもいるようだ。それゆえ、避けられもし、あるいは供物として崇められもする。
ヨルバ族たちは、その木には精霊が宿っていて、その精霊を向かい合って見てしまった者は狂って死ぬのだと信じている。
また、ヨルバ族たちの中には、Irokoの木を切り倒した者は、彼自身や家族が不幸になるという言い伝えもある。
さらに、Irokoの精霊が木の中に宿っているならば、その木で建てられた家の中で精霊の声を聞くであろう、とも言い伝えられている。
ナイジェリアには、ヨルバ族のIrokoと同じような言い伝えを持つ木がほかにもある。

Iroko材は、造船や屋内床板、家具を含めて、いろいろな目的で使われている。
1990年代末から、Txalapartaという木板を組み立てたバスク音楽の楽器のパーツに使われるようになった。生き生きとしたサウンドを作るためだということだ。
また、Iroko材は、伝統的な西アフリカの太鼓ジャンベ(Djambe)の木のひとつでもある。

Iroko材は、とても耐久性のある木材で、室外用として使用する時、油やニスを塗装する必要がない。
チーク材と同じくらい耐久性に優れてはいるが、Irokoとチークはおなじ生態系は持たない。

イギリスでは、機械加工されたIroko材の貿易制限がない。
唯一、報告される有害結果は、Iroko材からの埃によって引き起こされることで知られる、喘息、皮膚炎、じんましんだ。

・・・そんなことが書かれていた。


さらに調べてみると、Irokoの木は、クワ科クロロフォラ属。
チーク材に似ているので、商品名でアフリカンチーク、ナイジェリアチークとも言われているそうだ。
耐久性に非常に優れているから、船の木材としても適材であるし、虫の害にも強いのだそうだ。

精霊が宿る、とかちょっと畏怖の念にも駆られるが、堅い木材だからこそ、バスク音楽の木琴(?)や、アフリカの打楽器にも好んで使われるのであろう。
どこかの項に、Irokoの木は、「キューバの音のリズムをきざむパーカッション、ジャンベが作られる木材である命の木」であるとの表記を見つけた。キューバはアフリカからの移民が多く住む国だ。
また、夏の絵本屋でアイリッシュハープとチェロのコンサートを持った時に、ハーピストが、アフリカの堅い木で作られたハープは本当に良い音色を奏でる、と解説していたことも思い出されることだ。

Wikipediaには、Irokoの木の分布はアフリカ西岸、と記されているが、中央アフリカ共和国でも、ここコンゴ民主共和国でもおなじみの木だ。
Irokoの木の解説として、こんな表記も見つけた。

「Irokoの分布範囲は広く、西アフリカのシエラレオネから東へガーナ、アイボリーコースト、カメルーン、ガボン、ザイールを経て東アフリカのタンザニアにまで、アフリカを横切って分布している。それぞれの国で重要な木材となっている。」


Irokoの木材は、Wikipediaの解説にもあるように、淡黄色から濃いチョコレート色までの幅があり、淡色の細い縞があるのだそうだ。

こんなに濃い茶色もある。
どこかのメーカーから、ipod touch のプロテクターに、”Iroko”の品名表示でこんな色のものがあって、「売り切れ」と書かれてあった。(ちょっと、エッヘン!したりして。)










本当にいろんな色目があるものだ。わたしの大好きな北欧のシンプルな家具デザインが似合いそうだ。







切り倒されてきた、Irokoの丸太だ。見るからに堅そうな木質だ。

Irokoの木もどんどん伐採されて森が消えてゆくのかな。
ヨルバ族の言い伝えはちょっと怖いけど、”恐れ”ではなく、木の精霊への”畏れ”として、乱伐の戒めにしてもらいたい気もする。

2012年11月23日金曜日

11月のくだものと、コンゴ情勢



11月に出回るくだものたち
 
ここ2,3日、コンゴ民主共和国の東部、ゴマ辺りがいつもに増して予断を許さぬ状況になってきていることが報じられている。

ゴマ近辺が反政府軍(M23)の占領下となったというのだ。

ゴマは、ツチ族のジェノサイド(集団殺戮)で知られるルワンダとの国境に位置し、地下資源も豊富、農作物も豊かに取れる風光明媚なところだと言われる。

反政府軍によるゴマ占拠を受けて、国内各地で対政府デモが起きているらしく、キンシャサでもいつ暴動が起きるのか、わたしたち外国人にも緊張感が出ている。
さらに、大量の難民・避難民が発生し、キャンプ地区の衛生状態が懸念されているということだ。

一方、首都キンシャサはどうかというと、一部地域で市民が結集する動きも見られたが、それ以外では通常と変わりなく、平和な空気が漂っている。


今朝も、我が家の家政婦は、いつも通りに出勤してきた。
そして、依頼していたバナナに加え、美味しそうなマンゴ、パパイヤ、アボカドを見つけたからといって、旬のくだものたちを持ってきてくれた。
パパイヤとバナナは年中、手に入るくだものだが、雨季に入り値段が安定し下がってきたようだ。

アボカドは、あともう少し待たなければならないらしい。
12月、1月になるとおいしいアボカドが出回るよ、と彼女は言う。
そうだった、キンシャサで生活を始めたばかりの今年1月は、毎日アボカドを食べていたように思う。
ということで、11月のアボカドはまだ品薄で高めの値段だそうだ。
アボカド1個600CF(60円)なりー。
(でも、今夜食べたアボカドは熟してとても美味しかった。)

バナナは18本で3000CF(三百円)、パパイヤ1個1000CF(百円)、小ぶりマンゴ2個500CF(五十円)なりー!

11月、12月は一年でいちばん雨の多い時季だそうだ。
たっぷりの雨で実が熟し、12月、1月は、アナナ(パイナップルのこと)、アボカド、そして、サフという紫色の卵形のくだものが旬を迎えるらしい。

家政婦に、キンシャサでデモがあったら参加するのか、と問うと、行くもんですか、わたしは母親だし、家でじっとしていますよ、と応える。
キンシャサで暴動が起こると、外国人が国外退去になり、そうなるとかれら国民は、経済がストップし収入が途絶え、苦しい生活を余儀なくされることを20年ほど前の動乱で経験済みだ。
さて、コンゴの人々はどう動くのか。
ゴマ地域を手放すことになるのか、固守するか。

スワヒリ語を話すゴマ地域は、リンガラ語のキンシャサとは言語も違うし、民族も違う。
またキンシャサ~ゴマ間の道路は整備されてないらしく、空路利用で行くしかないと聞く。
それも一旦ウガンダだかルワンダだかに出て、自国に再入国するルートを取るほうが容易だとも聞いたことがある。

コンゴ民主共和国の国土は、統治するには広すぎるのかもしれない。

家政婦は、いたってのんびり、ゴマ地域がよその国に取られたら、ゴマで取れるおいしいジャガイモもにんじんも食べられなくなるなあ、と残念そうにつぶやいた。
かの地に眠る天然資源の採掘収入のことより、農作物のことを憂えるのは、もちろん家族を思う主婦の発想なのだろうなあ。