2012年11月17日土曜日

ゴンベ郵便局の私書箱

私書箱が並ぶコーナー

この前、わたしのfacebook に「我が家の私書箱です。」と記して上の写真を載せたら、娘がびっくりしていた。

えっ!!
私書箱って、こんなぼろぼろなところだったの?

さもありなん・・。
壊れた扉の私書箱、扉の無い私書箱もあるんだもの。

我が家は、ここ、ゴンベ地区の郵便局内に私書箱のひとつ、3118番を借りている。


今年3月19日、ンガリエマ修道院の中村シスターに連れて行ってもらってゴンベ郵便局長さんを紹介してもらった。
そして、私書箱賃貸料6か月分(?5か月分?25000CF),私書箱鍵代(10000CF)、登録料(?3000CF)、合わせて38000CFになります、と言われた。

ここから郵便物は出せないが、私書箱を借りていれば、わたしたちがきちんと該当の私書箱に手紙を入れますよ。
郵便局長さんも局員の(おそらく!)マダム2人も、ドンと請け負ってくれた。

コンゴフラン札でいちばん大きな千フラン札を38枚も持っていないので米ドルで換算してもらって(コンゴフランと米ドルの2重通貨構造も近々終わりになるとも聞く。)、42米ドルを払ったのを思い出す。

その後、9月に賃貸更新に行った。
こんなぼろぼろの私書箱にも、手紙はきちんと(多分。そう信じる。)届いている。


わたしは、週2回、車を使える(繰り返すが、車での移動ではないと、治安上、街中を動けない。)火曜日と木曜日の昼過ぎにいつもゴンベ郵便局私書箱3118号を覗きに来るのが日課だ。
昼過ぎに行くと必ず、入り口ロビーにプラスティックの椅子を持ってきて局員マダムや近所の人たちがのんびりと井戸端会議している光景に出くわす。
のどかな光景だ。
郵便物の受け取りもない、もちろん貯金業務もない。
ただ、航空便で届いた郵便物を仕分けすることと、荷物が届いたら該当私書箱に郵便物到着のお知らせの紙を入れ、その紙を持ってきた人に荷物を渡してウソか本当か知らないけど、税金を受け取る・・・これだけの業務だ。
はたして、ここの郵便局には週に何回の郵便袋が届くのだろう。

わたしが、私書箱に手紙を見つけると、彼らもいっしょになって喜んでくれる。



さて、これが、ゴンベ地区郵便局の正面だ。
先月、キンシャサで開催されたフランコフォン会議に合わせて、ゴンベ郵便局建物も、ペンキが塗り替えられた。
そして、玄関入り口に白い鉄格子がはめ込まれた。
それまで、正面玄関の階段を上がって、私書箱に続く通路はオープンスペースになっていて、郵便業務が終わると、そこに住みついた人々の”ねぐら”になっていたのだった。



ゴンベ地区郵便局の正面

郵便局前の広いスペースも、フランコフォン会議開催日までには間に合わなかったけれど、道路に挟まれるようにして緑地帯公園が完成した。
道路を渡ると、キンシャサ教員大学キャンパスだ。慶応大学の学生たちが教鞭を取る日本語教室を開設する大学だ。
そこの構内には、着々と「日本文化センター」の建物も出来上がってきている。
来年の3月11日には開館式があると、プロジェクトに携わる慶応大学の方たちから聞いている。

さらに、ゴンベ郵便局から斜向かいの敷地には、ボボトセンターなどのイエズス会の施設が広がる。

ちょっと充実した地域になりそうだぞ!

ゴンベ郵便局よ、おまえもがんばれ!

2012年11月12日月曜日

真ん丸綿毛の木

11月のキンシャサは雨季真っ盛り。
降雨量も一年で一番多い月なのだそうだ。

今日、ちょうど昼の12時頃、ブログを書こうとしたら、空が真っ暗になり、風が吹き始めた。
マダム、じきに雨が降り始めるよ、気をつけてー。
部屋中の窓を閉めて回り、ベランダの洗濯物を取り入れた。
ほどなくして横なぐりの土砂降りの大雨となる。
そして、停電。
いくら待っても今日は自家発電機は作動しなかった。
どうやら雨季に入ると停電が多くなるようだ。


さて、下の写真は、11月4日に撮ったゴルフ場でのものだ。
遠くから撮ったのでよく見えないが、コース芝生上に無数のコロンとした綿状のものが点在していた。
芝生上で誰かが布団やクッションの綿の詰め物を取り出したのではないか、と疑りたくなるような有様だ。

説明を追加
なぜ、こんなに綿が点在しているのかとキャディーのおじさんに訊いた。
あそこを観てごらん、あの大木を!
この写真の向きの真反対を振り向き、左側上方を見上げると・・・まあ、かわいい!!
枝にびっしりと、丸い綿毛をつけて、ひときわ高く天にそびえる木が見えた。


丸い綿毛を付けた木
  まるで誰かが綿をくるくるっと丸めて枝に飾ったのではないかと思えるかわいらしさだ。

キャディーのおじさんに木の名前を尋ねるとバオバオの木だ、と言った。
ホントかな??
この綿毛はクッションの詰め物に使われるんだ。
でも気をつけないと鼻に入ると病気になるよ。


詰め物に使われるんだー。
でもよくよく見ると、タンポポの綿毛をもっともっと密集して親分にしたような固まりで、ちょっと細い綿毛なのだ。
中央アフリカで娘が持って帰ってきたことのあるカポックの実を思い出す。
その実の中の綿毛は繊維も長くしっかり太くてしっとりしていた。
カポックの茶色い硬い殻を割ると、パフっと音を立てるかのごとく、中でぎっしり詰まって寝ていた綿毛の繊維が目覚めたようにふっくりと出てきた。


我が家の家政婦に訊くと、ああこれは知っている木だけどバオバオではないよ。
名前は何だったかねえ・・・。
この木の幹を下までたどって行くと、バオバブの木の幹に形は似ているが、あんなにどっかりと太くはない。

芝生にコロコロ転がっている丸い綿毛は、あの枝から落ちてきたんだ。


9月中旬から10月初めにかけてゴルフ場の大木の紫のマメ科の花が満開になり、ゴルフ場が華やいだ。ちょうどその大木の下の砂地のバンカーのくぼみに、藤の花そっくりの紫の花が落ちて埋まり、遠くから見ると、きれいな紫の花の池のようだった。
今では、紫の花たちは見る影も無く、見上げると枝に豆の入った緑の莢(さや)がぎっしりと垂れ下がっている。この木こそ、ウエンゲの木。
とうとう発見したウエンゲの木!
黒っぽく、硬くてしっかりした木質で家具や楽器に使われる木だ。
ウエンゲもアカシアの木もマメ科だし、ゴルフ場にはマメ科の木が多いように思う。

キンシャサのゴルフ場には何本の木が植わっているのだろう。
18ホールある中で、1ホール当たり少なく見積もって50本の木があるとしても900本だ。
ゴルフ場の周りも木で囲まれているし、千本は下らないだろう。

余談だが、わたしの名前は、「Hiroko」。
フランス語では、”H”が発音されないから、「イロコ」となる。
それと同音の、”Iroko”の木が、中部アフリカ一帯に自生していると聞いた。
とても堅くて良い木なのだそうだ。
ことあるごとに、「Iroko」の木を尋ねてみるのだが、まだ出会ったことはない。
いつかの出会いをわくわくする思いで待っている。

2012年11月8日木曜日

キンシャサ 米事情

日本に帰って、まず幸せだなあと感じたのは、ふっくら美味しく炊き上がったご飯を食べる時だった。日本のお米ってほんとに美味しいなあ、としみじみ思った。

そして、よく訊かれたことは、キンシャサで暮らして普段はどんな食事をしているの?、ということだった。
食事作りも、食器片付けも、台所仕事はわたしがしているのだから、食事も日本にいたときとほぼ同じものを作って食べている。

ということで、今回はキンシャサで手に入る”米”について書いてみたい。


我が家でつい最近まで食べていた米は、キンシャサ市内のアラブ人経営のスーパー、”シティーマーケット”で購入する、エジプト米(900g入り袋 約300円)だった。
キンシャサで購入したおもちゃみたいな電気炊飯器にBikai米を仕込み、目盛りより多めの水加減で炊いて、まあどうにかおむすびが握れるくらい。ちょっと臭うけれど、値段のことも考慮して日本の米に一番近いかな、と思ったのが夫の選んだ理由だったらしい。


エジプト米 ”Bikai” 900g入り袋
 以前から、IWC(国際女性クラブ)のメンバーの間で、カリフォルニア米を現地市場で25㎏45米ドル(約4200円)ほどで入手できる、とか、現在カリフォルニア米在庫がなくなって、輸入米がマタディー(コンゴ河河口の港)まで来ている、といった情報を小耳に挟むことがあった。

そして、この9月末。
我が家の家政婦が、今、ジギダ市場(現地市場)でおいしい日本米(と彼女は言った・・)が入荷している、と教えてくれた。
彼女はバコンゴ(コンゴ南部地方)出身で農耕民族の地域らしく、主食はマニョックやとうもろこしではなくて米なのだそうだ。しかも、丸い米を好むのだそうだ。
わたしも月末に給金をもらったら早速日本米を買いに行かなくちゃ!、と主婦の顔になって言った。

その情報を夫に知らせると、夫は早速、事務所からの帰りにジギダ市場に寄って、米袋に入った25㎏30米ドルだか40米ドルだかの日本米?(カリフォルニア米かも?)を抱えて帰ってきた。1kg当たり120円~150円くらいか。
ただ、その米袋には、産地名も何も記されてはいなかった。
夫がジギダ市場に着いて、日本米があるかと訊くと、ある店に案内され、パキスタンからの米だと持ってきたそうだ。
早速炊いてみて、確かに美味しいのだが、古さも感じた。
(20年近く前、中央アフリカ共和国の首都バンギで、日本の援助米がどうしたことか店で売られていて、期せずして美味しい日本の米にありついたことを思い出す。)


ジギダ市場辺り(向かって右側が案内役のサントーカ兄さん)


先月、日本帰国前に、韓国人の友人宅に昼食に招かれた。
そのときのご飯がとても美味しくて、早速わたしたちの話題になった。
彼女は、キタンボ・マガザン(キンシャサ西部にある現地市場。ジギダ市場はキンシャサ中央部。)
の店で購入したと言い、見せてくれた米袋にははっきりと”カリフォルニア米”と表示があった。


キンシャサの我が家を3週間留守にするにあたり、保存のために現地購入の小麦粉は冷蔵庫に入れた。
でも、25㎏の米を入れるスペースはなく、やむなく米を3つのプラスティック容器にすべて移し、その中に炭をいくつか入れて棚に収納した。

そして3週間後戻ってみると、黒い細長い小さな虫が無数に米の中を動き回っているのを発見!

やっぱり虫が湧いたか・・・。

夫はそうつぶやくと、その日夕方には、米貯蔵用として小さな冷蔵庫を買ってきていた。
スーパーマーケットへエジプト米を買いに行った時、時々米のビニル袋が濡れていることがあったが、それは米を冷蔵保存していたんだなあ、と言いながら夫は自己納得している風だった。

ということで、只今、我が家のご飯は、ジギダ市場で買った日本米(?カリフォルニア米かも?)だ。

ちなみに、スーパーマーケット(キンシャサ)で、”すし米”と表示された1kg入り千円ほどの高価な米も入手可能ではある。(あ!只今、品切れ中だとか!)

2012年11月7日水曜日

キンシャサ・フランコフォン・サミット

先月、10月12日(金)から14日(日)の3日間、キンシャサで第14回フランコフォン・サミット(フランス語圏会議)が、中部アフリカ地域で初めて開催された。(アフリカ大陸の国として、せネガル、ベナン、ブルキナファソに次いで4カ国目。)

わたしたち夫婦は、その前日の夜の便でキンシャサを出国したので、開催当日のキンシャサの街の様子は分からない。会議開催前のキンシャサの街や人々の様子を振り返りつつ、書いてみたいと思う。


10月にキンシャサでフランコフォンサミットが開催される、ということはわたしたちが今年1月に来たときから話題になっていたと思う。
街にはビル工事があちこちで始まっていて、外資系ホテルチェーンがホテルを開業するだの、大型ショッピングモールができるだのという噂があちこちで聞かれた。

そして、乾季の終わり8月後半ころだったろうか、揃いの作業着を着て仰々しいマスクを装着した作業員が街の道路清掃を始めた。

それから、キンシャサのいちばん大きな道路、6月30日通りの街灯に、コンゴ民国の国旗とフランコフォニーの会旗が対になって翻った。


6月30日通り沿道に掲げられた1対の旗(信号機直下に見える)
次に、 6月30日通りの花壇がきれいになり、花壇囲み石が紅白に塗られ、緑色のゴミ箱が街のいたるところに設置されたときには、夫婦で拍手喝采した。
(ゴミ箱を設置したはいいけど、果たしてごみ収集車なんてあるのかねえ・・と憂えていたら、ちゃんとバイクでゴミ回収に回っているのだそうだ。夫の目撃談・・。)


街角に設置されたゴミ箱
ちなみに、上の写真中のトタン板で囲われていたところには、”ドロボウ市場”という愛称で賑わう屋台が軒を連ねるお土産横丁があった。サミット開催の2,3週間前に突然、全区画が撤去された。
主要道路沿道の非近代的でみすぼらしい(?多分)屋台や小屋は撤去されたようだった。


”mbote ” (リンガラ語で”こんにちは”の意)と書かれた仏語会議を歓迎する看板
 6月30日通りのソシマット交差点の2箇所に上の写真のような ” mbote  ” (リンガラ語でこんにちは、の意。)、” Souriez  ” (フランス語で笑ってください、の意。)と、サミットでキンシャサを訪れる人々を歓迎するメッセージが掲げられた看板が立ち、歓迎ムードが街中に漂うように感じられた。

また、6月30日通り沿いの銀行ビル正面の全面を、カラフルなプリント写真で被ってサミット開催を祝う銀行もあった。


6月30日通りに面する銀行の建物一面にサミット歓迎の垂れ幕が飾られる


更に、外国人客で賑わうパン屋やカフェ、スーパーマーケットなどには、無料のカラーの新聞、”Courrier francophone”が置かれて自由に取って読むことができた。

2012年10月11日の日付の第3回 ”Courrier  francophone ”
この、”フランコフォニー便り”の無料新聞がどのくらいの頻度でどのくらいの部数を発行したのかは分からないが、わたしが会議開催前日までに手に取ったのは3回だった。

”Editorial”(社説)最後に発行者代表名が記され、コンタクトのためのパソコンアドレスも明記されている。そして、第14回仏語圏会議のオフィシャルスポークスマンではない、とも添えられている。
オールカラーで12面に渡って、仏語圏会議のこと、キンシャサの食文化、現在のトピックス、博物館などの見どころ紹介など内容満載だ。
使用する紙質は上質のものだ。
どんな団体がスポンサーなのだろう。

新聞紙面右下に見える、5色の丸いマークがフランコフォニーのシンボル旗で、その中に、コンゴ民国の珍獣、オカピが覗いている。

また、イエズス会が運営する、” CENTRE  CULTUREL  BOBOTO ”(ボボト文化センター)内にある手工芸の売店、骨董品店は、カラー版パンフレットを作成し、営業時間延長のお知らせの紙~”フランコフォンサミット期間中前後の10月8日~20日の間、9:30~20:30まで営業。木彫り、陶芸、彫金、絵画、骨董などのコンゴ民国の土産品があります。”~といった内容のチラシがホッチキスで留められていた。
ドロボウ市場の屋台が撤去されたのだから、期間中、陳列品も充実して多くの客を迎えたことだろう。


前回2010年のスイス・モントルーで開催された会議にはオブザーバーを含め75カ国が参加したそうだ。
今回のキンシャサ会議には実際どれだけの国が参加したのかは分からないが、フランスのオランド大統領はじめ10数カ国の国家元首がキンシャサ入りしたそうだ。
開催前から、会議参加者の受け入れホテルの容量不足が言われ続けていた。ホテルの建設や改築に着手したものの、結局新規オープンした規模の大きいホテルは一つだけだった。


闇夜に七色に輝くリバーサイドホテル

七変化のリバーサイドホテルのイルミネーション

ンガリエマ教会から目と鼻の先。
コンゴ川そばに立つモブツ政権時代の既存の建物を、中国が突貫工事で改築した高級ホテルだと聞くリバーサイドホテル。レストランフロアもあるのだそうだ。
停電が頻繁にあるキンシャサの夜にレーザービームみたいなのがサーっと光り、キンシャサの闇夜に燦然と(!!)輝く。
この国の電気事情にあるまじき行為だと憤慨し、センスの無さに頭を抱えてギョッ!!っとしていたのはわたしだけだったのか??

そんなあちらこちらで体裁を繕うキンシャサの街を後にし、サミット開催の前夜にキンシャサのンジリ空港から出国したわたしたち夫婦が見たものは、ボノボ、マウンテンゴリラやオカピといった絶滅危惧種のいるコンゴ民主共和国のPRと動物保護を求める大きなカラーの垂れ幕と、そして、夜8時を過ぎているのに出国手続きの空間と待合室の天井を張り替え、蛍光灯照明を取り付ける作業員で溢れ返る空港ロビー風景なのだった。


キンシャサ・フランコフォン・サミットが終わって3週間ちょっと。
6月30日通り沿道に取り付けられたコンゴ民国とフランコフォン・サミットの旗たちは、見るも無残な姿を晒して放置されたままだ。
歓迎の看板もそのまま。
雨季のキンシャサでどんどん惨めな光景になってゆくのか。がっかりだ。

会期中の3日間は直前になって国民の休日となった。
キンシャサ市内で混乱も紛争も無く平穏の内に会期を終え、フランスのオランド大統領を(日帰りだったが)迎えて演説する場面がフランス国内のニュースで幾度となく放送され、世界中に、というとオーバーだが、コンゴ民主共和国をアピールできたことはよかったと思う。

さあ、これからこの国はどの方向に進んでいくのか。
アムネスティ団体が、サミット主催国のこの国で続く悲惨な紛争を指摘し、「コンゴ政府は、国内・東部の暴力を阻止するための緊急措置を実施し、人権侵害を行うすべての人間に対し責任を問わなければならない」とコメントしている。

キンシャサに暮らしていて、東部の紛争・危機状況が全く伝わってこないことが不思議だ。
ビルがあちこちに建ち、着飾った人々が行き交うコンゴ民国の首都キンシャサ。
それでも、貧民の数は底知れず。政府がしっかり機能しているとは言い難い。

天然鉱物が埋蔵し、豊かな森林資源を有し、世界の大国がこの国に近づいてきている。

コンゴ民国の人たちには国の真の発展のために「今」こそ正念場だ、と肝に銘じてほしい!

2012年10月31日水曜日

キンシャサ、再び

我が家、アパート3階ベランダからのいつもの風景

昨夜10月30日、18:30頃、わたしたちが乗ったエアフランス888便はキンシャサ、ンジリ空港に無事ランディング。20日ぶりにキンシャサへ戻ってきた。

思い返せば、11日にキンシャサの自宅を午後早めに出発。わたしたちの20日間の休暇が始まった。
11日21:05キンシャサ発のエアフランス889便で出国。
翌日から丸4日間、娘夫婦が暮らす南仏アンティーブに滞在。ゆったりと孫娘の子守や、南仏の秋の味覚を楽しんだ。

そして17日朝、羽田に到着した直後から、分刻み、というとオーバーだが時刻みの日本滞在が始まったのだった。
到着したその日から、検診、健康診断、歯、目、婦人科などの懸念項目をクリアすべく、都内の病院を駆け巡った。
2日間だけだったが、北九州・八幡へも帰省し、父、義母の顔を見てきた。
美容室にも、整体にも、リコーダー仲間の練習にも、黒留袖をドレスにしてもらうためにブティックにも、ジャズライブにも、そして、昨夏8月だけの絵本屋を開店したところにオープンしたカフェ”L'ange d'angle”(かどっこの天使)にも、都内の会社寮で暮らす息子と我が家の御用達仏料理店にも行くことができ、そこここで嬉しい再会を持った。

息子が社会人2年目を元気にたくましく(と信じる母!)やっていることに安堵。よかった!!

いろんな繫がりの友人たちがセッティングしてくれた会食もうれしかった。
恋焦がれた(!)蕎麦も刺身も鮨も堪能できた。
わたしのために撮って編集してくれたDVDや、お勧めの本や料理レシピを持ってきてくれた友人にも感謝だ。

合間でキンシャサ生活のための買物もあったし、赤羽の自宅の掃除もしたかった。
ぎりぎりいっぱいで過ごしたが、時間制限でそんなこんなも強制終了せねばならなかった。

夫婦ともにすべての検診をクリアできたことは幸せだった。心置きなく、キンシャサに向かえることに感謝。

不義理で連絡が取れないままの友人も多くいた。あの方にもこの方にもお会いしたかったと友人の顔が浮かんでくる。また来年、お会いできますように。

自宅台所と浴室の換気扇掃除、リビングの窓掃除、ベランダの掃除に心を残したまま、29日夕方5時過ぎに息子が運転する車で自宅を出発、一路、成田へ。
成田21:55発エアフランス277便に乗り込んだとき、わたし達は本当に東京に2週間近く帰っていたのだろうか、と夢の中の出来事のような、不思議な気分になった。

日本滞在中は、はるか遠くに霞むキンシャサ生活を、あれはまぼろしだったのか・・と訝り、日本滞在が終わって離れてみると、逆に日本滞在が夢の中でのことのように霧がかかってしまう。
同じ地球上に日本があり、娘たちのいるフランスがあり、わたしたちが現在住んでいるアフリカがある。その空間の繫がりの不思議さを痛切に感じる。
飛行機で空間移動するときの時間移動の”ゆがみ”にも起因するように思う。
飛行機の移動では、わたしは毎回、トリックに遭ったような摩訶不思議な感覚に陥る。

日本滞在時、BS・NHK世界のニュースを観ていて、”世界の天気”の中に、なんとアフリカが出てこなかった!日本からは、遥か遥か遠いアフリカの国々なんだなあ、としみじみ思った出来事だった。


そしてまた、今朝からキンシャサでの普段の生活が始まった。
朝9時過ぎ、いつものように定刻より数分遅れで家政婦のフロランスが、いつものようにバナナを抱えてやってきた。
マダム、おかえりなさい!
良いバナナがあったよ。オマケもつけて三千フランで手を打ちましょ。
そして、いよいよマンゴの季節到来だよ、美味しいマンゴも見つけてきますよ。

だが、口からフランス語が出てこない。
マダム、フランス語の先生とまた初歩からやり直すことだね。
やれやれ。

さあ、これから一年、またキンシャサで楽しんで生活していきましょうか。

2012年10月11日木曜日

誕生日に寄せて

キンシャサはもうすっかり雨季。
8月下旬に久しぶりの雨が降り、9月には雨が4回降った。
その間に、気温は着実に上昇。
そして10月に入り今日、昼前から2回目の雨が降った。

日本でも秋分の日が過ぎ、太陽は南回帰線に向かって南へと移動している。
我が家の南向きのサロンに陽射しがまた入り込むようになった。真っ赤な夕陽も望める。

そんな雨季のキンシャサで、明日12日から3日間、中央部アフリカでは初のフランコフォン会議が開催される。
世界中の仏語圏の国々のトップクラスが集まる会議で、2年に1回仏語圏の国々の持ち回りで開催されるのだそうだ。
フランスのオランド首相もキンシャサ入りするというので、コンゴ民主共和国全体が活気付いて、キンシャサじゅうで大清掃作戦展開中だ。ゴミ箱だって(!)、街中いたるところに設置された。
6月30日通りの大通りにはフランコフォンの旗とコンゴ民主共和国の旗が街灯にはためいている。メイン大通りには”ようこそいらっしゃい、キンシャサへ”の大きな看板が立っている。
交通警官や警察官も街中で立ち働いている。うわべだけ体裁付けるのが大得意なコンゴの人たちの腕の見せどころ、といったところか(意地悪な見方だけど。)。
フランコフォン会議の町の様子の詳細はまた別の機会に。


さて、そんな10月に入り、わたしの誕生日が近づいてきた。
いよいよ50代ぞろ目の歳。

誕生日当日の朝、いつものように6時半前に起き、いつものように寝ぼけ眼でパソコンにスイッチを入れる。
あれ、キイボードの上に何かあるぞ・・・。


寝ぼけて焦点が合わないのと老眼とで、よく見えない目をこすり焦点が合ったところで、何と!!!
悪筆の夫が彼なりのていねいな気持ちで書いてくれた「誕生日 金一封」ではないか!!!
しかも、”VLISCO スカート券”だって!!
(”券”の字の中が「力」になってるけど、気にするまい。)

夫はわたしのブログをしっかり観ていたんだなあ。
VLISCOのスカートをいつか買うぞ、と書いたあのブログを。

なんだか、嬉しいのと可笑しいのとで独り大笑いした。

海外のブティックで独りで試着室に入るのは危険だ、と聞くので、夫の仕事が昼間までで終わる土曜日を待ってVLISCOに一緒に行ってもらった。
運良く、お目当てのスカートが残っていて早速試着する。
サイズの”XS”はわたしにぴったりだったが、わたしには色が地味過ぎて似合わない。
デザインもピンと来ない。
あーあ・・・。
他のワンピースもジャケットも奇抜なデザインの上に、サイズ”L”とかとてつもなく大きいサイズばかりだ。
ブティックを去りがたくて、うろうろしていたわたしに、夫が、フランスで選んだほうがいいじゃないか、と声をかけてきた。
そうだね、もうじき、娘のところに行くからね。
でも夏物はないだろうけど。

ということで、「VLISCOスカート金一封」とはならなかったけど、フランスで選ぼうと気持ちを入れ換えた。

運転手のおじさんに、今日はわたしの誕生日なんだ~、と言うと、おめでとう!そりゃ歌わなきゃー!、と大声で誕生日の歌を楽しそうに歌ってくれた。
ぼくは、生涯で2度だけ妻の誕生日を忘れたことがあってねえ、大変だったよ、奥さんの機嫌を損ねてさ。
かれが言うには、夫婦の誕生日には必ずプレゼントをお互いに用意するのだそうだ。
優しい人柄がにじみ出ているもの。アニメ”アルプスの少女ハイジ”に登場するクララの家の執事(?)セバスチャンそっくりの運転手だ。


そして、今日10月11日。
わたしたち夫婦は、今夜21:05発のエアフランスでパリへ向かう。今朝、キンシャサ市内のホテル・メムリン内のエアフランスオフィスで事前チェックインを済ませた。空港まで手ぶらで行けるのでとても便利なシステムだ。
翌朝パリからニースへ乗り継いで、娘のところに数日滞在し、17日には東京へ一時帰国の予定だ。

キンシャサ市内からンジリ空港までの交通渋滞は半端なく、しかも、明日からのフランコフォン会議を控えて、さらに渋滞が予想されるというので、15:00前には我が家を出発しなければ。

では、しばしの別れ、キンシャサ!行ってきます!

2012年10月8日月曜日

また会う日まで、ニルマラさん


ご自宅の送別パーティーで、多くの友人に囲まれるニルマラさん
ご自宅での送別パーティーには多くの友人が集まった

ニルマラさんが9月30日に、多くの友人から惜しまれてキンシャサを離れていった。

大使館勤務の日本人のご主人の仕事で2人のお子さんと一緒に2年半、キンシャサで暮らしたニルマラさんは、その間、キンシャサのInternational Women's Club とスペイン語圏女性の会で役員をし、多くのクラブの企画をし、ご自宅でもよくパーティーを開き、両クラブの中心的女性だった。

彼女自身は、ネパール、カトマンズの出身だ。
ご主人の赴任先でその国の言葉を覚え、ネパール語、英語、日本語のほかに、インドネシア語、スペイン語、フランス語も操る。
彼女の父親の仕事で、小さいときから家族旅行で海外に行っていたと言い、海外の文化を抵抗なく受け入れる懐の広い女性だ。

わたしがキンシャサへ来て間もない頃、ニルマラさんはここの食料品、雑貨用品などの買物事情を教えてくれた。
キンシャサのスーパーのしおれた野菜たちにがっかりするわたしを、新鮮な野菜を入手するには現地の野菜市場に行くしかないと、現地のジギダ野菜市場を案内してくれた。

治安のよくない、混沌とした現地野菜市場では、サントーカという名のコンゴの男性を用心棒に雇うと安心なこと、現地通貨を大量に用意すること、もし用意できなければ市場前の両替人から500コンゴフランに替えてもらえること、野菜市場の価格の相場、旬のものなど野菜の選び方等等、親切に伝授してくれ、ニルマラさんがジギダ市場に行く時はよく誘ってくれた。

そして、International Women's Club の入会のときもニルマラさんが連れて行ってくれた。
いろいろな場面で多くの女性を紹介してくれ、彼女の自宅パーティーのときもよく誘ってくれた。
片言英語と片言フランス語のどこの馬の骨とも知れぬアジアの女性をすんなり気持ちよく受け入れてもらえたのも、ニルマラさんがいたからこそだと思えてならない。

午前中のお茶の会、ランチの会の食事の用意や接客のしかたも彼女を通して学んだことは数限りない。どれも参考になることばかりだ。
母国のネパール料理は本当においしかった。
お菓子のレパートリーも驚くばかりだ。
日本食だってすばらしかった。
巻き寿司や、大根、生サーモンを使った一口寿司もとてもきれいな飾り付けでおいしかった。

彼女が中心になって企画し、コンゴ河を貸切ボートで横切り、乾季のときに現れる砂州でバーベキューランチを開いたときは、彼女の企画力と友人の輪の力に感動した。
もちろん、いろんな人と交われて楽しいコンゴ河のプチ旅と野外ランチだったのは言うまでもない。

9月は彼女の送別パーティーがあちこちで開かれ、わたしも一緒に招かれた。
我が家でも、ニルマラさんのささやかなランチ会を開いた。
そして、どこでも彼女の帰国を惜しむ声が多く聞かれた。

9月18日の最後の送別パーティーは、ニルマラさんの自宅で行われた。
総勢で30人、いや40人はいたと思う。
彼女がまごころ込めて準備した午前のお茶会兼ランチ会は、終始、本当に和やかな雰囲気だった。

ニルマラさんがわたしにバトンタッチしてくれた友達の繫がりをわたしは大切にしていきたいと思う。今回のコンゴ滞在は子ども達もいないし、こんなに多くの友人ができるとは想像していなかった。
ありがとう、ニルマラさん。

わたしたちが日本に戻ったら、また良い友達でいてくださいね。
それまで、お元気で。